赤ん坊の頃、何も知らずに生まれてきます。
どんな母親なのかどのような父親なのか。どんな場所に生まれ何を正しいと洗脳されていくのかも。
生まれた場所や親によって、赤ん坊の思考回路は形成されていくでしょう。
どんな人も何かしら思い込みを持っていて、自分の脳を疑うことは容易ではありません。
悪意なき赤ん坊は、正解などないのに正しさをおしつける親や大人により、無限の可能性を潰されます。
そして殆どの人が、自分の心ではなく周りの行動を見ながら、これでいいのだと自分を言い聞かせ進んでいきます。
昨今のように誰かの描いたシナリオを信じ込んでロボットのように動く人々が現れてくると、何かで操作しなくても既にマリオネット化は現実になっているように見えます。
ある日、善意のリーク者による事実を耳にしたとしましょう。たとえばそれは決して誰も幸福にならない恐ろしい話。
話を大筋で信じたとして、ではどうすればよいのか…。
ただ怖がるだけでは覆すことはできません。
あなたの世界は恐怖一色で終わります。
何もかも同じなのです。
赤ん坊の頃、親に正しいと言われたことを信じたばかりに、物事をゼロから考える力を失います。
それでも社会は危険極まりなく、退化しそうになった第六感でなんとか事実に辿り着いたとしましょう。
でも、あえてそれを脳から削除するのです。
なかったかのように。
「それは事実かもしれない、でも自分の世界には要らない……」
というようなイメージで。
その存在を記憶から消しましょう。
これで自分の世界に不幸はやってきません。
もしもその事実を怖がり、不安になり、そのシナリオのキャストになってしまったとき、あなたはその荷担者となります。
それは他人のファンタジーなので、自分のファンタジーを描きましょう。
他人にふりまわされない幸福な世界を創造しようとするとき、それは実は『大きなことを成し遂げる』大変な偉業なのです。
誰かのシナリオを信じて疑わない人々の意識は、シナリオライターと同化しライターの思考の現実化の一助になってしまいます。
そうでない人は別の世界にいます。
みな自分で信じた世界を視ているだけのことです。
数年前、予防接種なしで電気ガス水道のないアフリカの村に滞在しました。
村の人の家でご飯を食べ、たくさんの人と握手しハグしました。
マラリアにもコレラにも罹患しません。
自分は大丈夫だと決めているので思考は現実化します。
ところがほぼ全員が信じて疑わない『腰椎を失い下半身不随になった息子は生涯歩けない=誰かの洗脳=机上の空論』というお話ですが、あれを覆すのは容易ではありませんでした。
それを信じている人の思いが強すぎると、そちらが息子の未来を現実化してしまうのです。
それらは私の思考の現実化を阻みます。
「この人ならやるかもしれない」
という、私を信じてくれるたくさんの人の意識が必要でした。
それをまとめたのがこれです。
赤ん坊の頃無限大にあった可能性を親によって潰され、ニンゲンの作ったお話を信じて『勉強』なるものをしてみるヒトが殆どでしょう。
でも、ぜひそれが本当かどうか確かめてください。
次に、何かをおしつける人の目的や意図を考え、それが自分の人生に良いのか良くないのかを考えてから、そのシナリオを採用するか否かを選択します。
信じていたことと異なるショッキングな事実を目の当たりにしたとしても、ぶれてはいけません。
所詮それもニンゲンの創るお話だと考えるのです。
そして、自分の脳さえ常に疑うことです。
真実は虚無 リアルはファンタジーなのです。
自分さえ例外ではありません。
つまり人は皆、自分が創造したお話の中に住んでいるのです。
私は他人の創るお話には興味が持てません。
無意味な動物の殺戮、大気汚染、農薬だらけの食べ物、金の独占や人々の支配、遺伝子組み換え、どれもこれも嫌悪する話ばかり。
だから、こう考えたのです。
自分の脳裏から削除してしまえと。
記憶には単なるファンタジーとして留め置く程度にします。
誰かの創る不幸なお話を信じて、その人の思考が現実化するのを助けるなんてまっぴらです。
戦う必要もなく逃げるのでもなく、削除するのです。真実の記憶から。
『誰かの創ったファンタジー』だと認識すれば『それは真実ではない』という記憶しか残りません。
自分の真実は自分で選択できるのです。
自分の好きなものだけ集めましょう。
恐怖に生きる人々は同調しあい、恐怖のシナリオの世界にキャスティングされるでしょう。
私は自分のシナリオを自分で描きたいのです。
そのシナリオには、ある種の美しさを散りばめたいのです。
不安と恐怖は、暗く不幸なシナリオに同調してしまいます。
今後、創造性の高いシナリオを描く人々と、自分で考えずに誰かのシナリオに依存する人とで世界が分断されるでしょう。
どのみち世界とは、個々が電気信号で感じて具現化しているファンタジーに過ぎません。
もしかするとこの世には地球なんて存在しないかもしれないのです。
私は観たことがないので何とも言えません。
もしあなたがいま幸せになりたいと真に願うなら、自分にとって美しくないものは記憶から消してしまいましょう。
そういうときに、例外や奇跡が起こるのです。
それが私の考える世界の変え方です。
今日も皆さんありがとう。
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