何を信じるか

どれだけ分かりやすく伝えても、人は結局、自分が体得するまで理解できません。

人間の理論は、すべて「誰かが考えたお話」なのです。

それが本当かどうかは自分なりに確かめて、やってみないとわかりません。結果を出して初めて納得できるのです。まったくの嘘を正しいと教えられることも、数え切れないほどありました。やってみると、結果が異なるのです。

何を信じているかで個人に視える世界は変わります。

「宿題を終わらせる」ことも「○○円稼ぐ」ということも「下半身不随の息子を歩かせる」ことも、実は同じ原理なのですが、信じているお話が異なると「これはちがう」「私には無理」だと思い込みます。そして判断できない人は「大勢が流される方を選択する」という「判断」をします。

「お話」を創るのはシナリオライターですが、下手をすると何もせずに「お話」を流布させるだけで、思考を現実化させることができるのではないかと考えています。

オオカミと少年の話と同じです。村人はお話だけで、実際に逃げてくれるのです。

複雑なお話を描くファンタジー作家は、オオカミと少年のように「何事もない」未来を設定しません。「次はこうなる」という第二章を用意してあります。それを信じた人々は「次はこうなるんだ」とそれに合わせて動きます。ライターの描いた世界が出来上がります。そして第三章、四章、五章と続きます。もしも、ものすごく悪事を働く奴がいるというお話をライターが描いたとしましょう。それに抵抗する人が出現したとしましょう。反対勢力は「反対」することで、シナリオライターのお話を信じているのです。そしてお話は現実化できるのです。ライターの腕にかかっていますね。

まだ夏も来ていないうちから、今年の夏はパステルカラーが流行るとか、○○というスイーツが流行っているとメディアに流れるとしましょう。人々はこぞってパステルカラーの服を購入し、○○を食べに行きます。店は○○を仕入れます。そしてそれを信じた人々の行動によって「流行が現実化」するのです。

殆どの人は確かめません。お話を信じるだけです。自分で現実化させて「本当にこうなった」と思い込んでいるのです。

中学生の頃、校則で「丸坊主」を学生らしさだと強制されたとしましょう。でも勉強に髪型は関係ありません。リーゼントで学年トップの成績をとることもできます。こうしなければならないというお話を全員が信じてくれて初めて成り立つことがあるのです。

これが歴史なのだと教科書に「書いている」としましょう。それを事実だと「仮定」して、生徒は「覚える」だけです。教師の中には、事実は異なると祖父母から聴いた人もいるかもしれませんが、口をつぐんでいれば生徒は知らずに、歴史は塗り替えられるかもしれません。

何もかも「お話」なのです。

システムが絶対だと信じて疑わない人はそれを順守してくれます。

ニンゲンが創ったお話は「絶対」なのでしょうか?

私はニンゲンが語ることはすべてファンタジーだと捉えています。

もし私のような考えのニンゲンがたくさんいたら?

下半身不随になっても歩く人がたくさん出てくるでしょう。

14歳上とでも22歳下とでも結婚する人がたくさん現れるでしょう。

そのうち、手をかざしただけで病が治ったりするかもしれません(笑)

生まれてからずっと洗脳され続けたこの世界のお話を、ゼロベースに持っていくことは至難の業です。

それぞれが信じて疑わない世界があります。

それを否定はしません。すべて自分が信じて選択した世界で誰のせいでもありません。

でも毎日平穏にいることが出来ない人は、今まで自分が何を信じて何を確かめたのか整理してみましょう。

明日来ると思い込んでいるその世界はまだ来ていないことに気付きましょう。

自分でそのように動いているだけかもしれません。

深呼吸をしてみましょう。

本当かどうかは自分で確かめてみましょう。

共通する原理を探せば、視える世界があります。

あなたの才能は最大限に拓くかもしれません。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です