越したときから空いてる畑を探してもらっていた。半年待った。
そして、村の人の紹介で、無事耕作放棄地を借りることができた。
何年も放置された土地を耕すのは大変だったけど、その何年も農薬や化学肥料が投入されていないことのほうが、私にとってはラッキーだった。
20年ほどマンションのベランダで堆肥まで作り100種の植物を育てていた。机上の空論は好きじゃない。
アロマの資格を取得しても、まず植生を知る必要があると考え、手に入る種と苗を集めた。
オールドローズも数十種類。苺はその頃から育てている。 野菜でもバラでもスタンスは同じ。
雇用されているときは6時から家族のお弁当を作り家事をすべて済ませて出勤していた。
植物を一つ一つ見ながら、個別に自然治癒力を高め有機で育てるには、明け方一時間、ベランダでガーデニングに費やす必要があった。さらに早起きするようになった。
一時期、旦那が鬱になり、関東で同居していたころ、誰も水をやる人がおらず、娘に頼んだもののバラの大半が死んでしまった。
私にとっては彼女(バラ)達を自分が殺してしまったという感覚。
いま一緒にいるレダやフェリシア、マルベリーや苺は頑張ってくれた強い子たちである。
引越しの時、迷惑そうに言われても、それは犬猫を殺せと言ってるのと同じなので、10年以上も共に生きている生物をもちろん「捨てたり」できない。
レダはもう11年目、マルベリーや苺、フェリシアは14年目。
だから、レダにコニーサンたちを、 マルベリーにミルキーたちを、 苺にはローリーを埋めた。 観賞用ではない。私はバラもマルベリーも苺も身体に取り込む。
緑のないマンションの高層階に、どこからかてんとう虫が訪れ、かげろうが訪れ、ミミズがわいてくる。
カレルチャペックのいうように、鉢の中に宇宙はあった。 コニーサンたちは、微生物に分解され、レダやマルベリーの栄養となり、私がその花や実を食べる。
彼らの構成元素は間違いなく私の身体に生きている。
いま、自分の手で自分の食べるものを作り、まったく農薬や化学肥料を使わないものを身体に取り込むことができている。
シェリーの食べる野草や野菜も自給している。
表示だけでは信用できないのがこの国のビジネス。安全と言われるものの中に危険なものは数え切れないほどあるだろう。
都会では、いちいちそのリスクを回避する策を練る必要があった。それなら自分でやる方が確実。
自然=安全ではないから、また自然の脅威に対するリスク管理は必要となる。
詐欺のリスク管理よりは、自然に対するリスク管理の方がずっと良い。
「食うための仕事」をさらに強化し、様々なスキルを磨いていきたいと思う今日この頃。
美しい風景に感謝しながら、今日も熱中症との戦いに挑んでいる。
今日も皆さんありがとう。
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