愛するがゆえの悲哀

空気を読むという言葉があり、控えめであることが美徳とされるように感じますが

意見を言うことと控えるということの境は、TPOによって異なります。

 

恋愛相談をされて話を聞いていると、

問題が起こったときお互いに遠慮しすぎて、相手にわかってもらえない人が多いように感じます。

 

相手を失うのが怖くて言いたいことも言えなくなるのは、好きであればあるほど持つ恐怖だとは思うのですが、取り返しのつかないことになる場合もありますよね。

 

長期的にみるとそのままの自分を受け容れてもらうことが断然幸せだと思います。

 

結婚してもなかなか本音を云えない人が多いように感じます。

本当は愛してほしいのに我慢して意地をはっている・・・・。

 

なんだか妻の機嫌がよくない。

帰宅する足取りが重い。

僅かな違和感を相手に見抜かれる。

 

こんなことが高じて、離婚まで発展する家庭も少なくはありません。

 

離婚相談に来る人は上記のような場合が多く見受けられます。

 

その場合、大抵は「諦める」思考パターンに陥っています。

 

相手にもう何の感情も持たないのであれば仕方ありませんが、まだ愛があるのに解決できないと思い込み、諦めてしまうのは非常にもったいのない話なのです。

 

特に夫婦なんてやっていると相手のことをわかったかのような錯覚に陥って、長い歳月のなかで相手が人間的にも変化していることさえ気づかないことがあります。

 

控え目なのは確かに美徳ではありますが、どうしても放したくない人や、愛しているなどの言葉はきちんと伝えた方がいいのではないでしょうか。

 

意固地になる、笑ってごまかす、泣くなどの表現ではなく

「自分はこう思っている」

「私はこうしてほしい」

ときちんと伝えてみましょう。

それから別れたって遅くはないのですよね。

 

私は三度も離婚していますが、もしも愛が残っているなら諦めて別れてしまうのはもったいないと考える方です(笑)

 

また、言わなくてもわかってるだろうという怠慢と

好きなくせに悪態をつく天邪鬼

相手にとっては単に面倒なだけなので皆さんお気をつけください。

 

 

今日死んでも悔いがのこらないかどうか

究極の判断ですが。

 

悔いがのこらないとしたら、もしかしたらそんなに重要なことではないのかもしれません。

 

悔いがのこるとしたら、控え目さが悲哀を生むことになるかもしれませんよ。

 

今日は素直にパートナーに愛を伝えてみてください。

 

 

いつも皆さんありがとう。

 

 

 

 

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