キマンボの案内で、村の小学校を訪れる機会を得た。
まずは校長室へ。教師の立場が日本の昔のよう・・・・
すごく尊敬されている。
小学校の現状
子供たちは240人。1~7年生。
校長先生から現状の問題点や課題を聴いた。
両親のいない子が結構いるらしく、先生や村の援助で家を借りて6人ずつ、まんべんなく年齢を振り分けて子供だけで生活をさせているらしい。
それでも皆制服を着て給食も食べているので(無償ではない)援助でなんとかまわっているのだろう。
教師の寮がないのが問題と聞いたけれど、そこはバイクも持っているような公務員の方々、通って来れば問題ないと思われる。
校長がボールがないとか、運動する道具がないとも話していた。余裕はないのは一目瞭然。
かつてヨーロッパの一家がこの学校を援助してくれていたらしい。NGOなどの組織ではなく個人だったそうで、その女性が亡くなったいまは援助はないそうだ。
私たち家族に期待しているのかな。
子どもたちが明るい!
経済的に困窮していても、子供たちは日本の子供よりなぜかキラキラしている。
各学年の教室の前でスワヒリ語で挨拶と自己紹介をしたら、とても歓迎された。
校歌を歌ってくれたクラスもある。
写真をとって良いかと聞くと、快く先生も入る(笑)
子供は私にべったりで、手をつなぎたがる子どもが多すぎて二本じゃ手が足りなかった。(笑)
低学年には、先生が手作りした段ボール素材の道具などで、丸・三角・四角などの図形を教えていた。
木の枝につるした段ボールのボードで数字や言葉を楽しく覚えるように工夫。
少し質素に見えるが、光景は日本とかわらない。
校則も先進国民が当初作製したのか、ほぼ日本と違いなかった。(かつてイギリスの植民地だった)
此処は現地語で授業。でも英語も1年生から教えている。
高学年は英語で話しても通じた。
生徒たちは裕福な農家からもらった牛の糞で堆肥作りもしていて、学校で農作物を育てているようだ。
決して十分ではないけれど、食糧不足のための活動みたいだった。
運動場はこんな感じ、何も無いけど広い
このあと乾いた大地に恵みの雨が降った。
もう少しで枯れそうな彼らの農作物が助かることを祈った。
援助のあり方
根底を見ずに援助をしても解決はしないように感じた。
多分、教育も仕事も子育ても全部同じで、根底、つまり本質を見抜く目を持たないと、問題解決はできない。
表面的な問題は本当の問題ではない。
未来を見据えたとき、何をするのが最善なのか。
子供の瞳は輝いている。
日本の子供よりもずっと。
家族は助け合ってる。
日本よりもずっと。
果たしてここで本当に何かをする必要があるのか?
究極は何もしないこと
傲慢なおし付けは善にはならない場合もある。
私達先進国民に出来ることは、これ以上の欲を捨て、傲慢さを顧みて、分け与えることだったりするのだろう。
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