私には三人の子がいます。
彼らは私の身体をとおして
この世に生まれでた私とは別の人です。
とかく母親は、臨月までお腹に子を育み、独り立ちするまで見まもらなければならないため、我が子を自分の所有物のように勘違いしてしまいがちです。
生まれ持った性質はなかなか変わりません。
他人を変えるのが無駄なように、我が子の本質を変えることも容易ではありません。
私も長男の幼少期は、自分と異なるところを、なかなか理解できませんでした。
そのせいで、特に彼には辛い想いをさせたと反省しています。
三人の子を産んで、それも父親の違う子を産むと、各々の違いがよくわかります。
私のところには、よく親がわかってくれないと嘆く若者が集まりました。
母親は子どもをコントロールしようとしているように思いました。
恐怖だと思います。
可愛いからこそ、自分の知らない世界に行ってしまう恐怖。
ずっと一緒にいたいからこそ、恋愛をしたときに、放れてしまう恐怖。不幸になるのではとの不安。
世間に合わさせないと、我が子が孤立するのではないかという恐怖。
でも、彼らは自分の身体を通ってこの世に生まれでた、自分とは異なる人です。個人に人生を選択する権利もあり、幸福を追求することを親が阻むことはできません。
私は、彼らとの出逢いにとても感謝しています。彼らに命を授けてくれた元夫にも感謝しています。ひいては、先祖代々感謝しています。
だから、彼ら個々を信じています。
生き抜く力を教えることが、親という役目をいただいた私の責務だと思ってきました。
強制するのではなく、背中を見せてきました。
すると、思春期にも誰一人荒れず、反対に私の幸せを願ってくれるような驚くことが起こりました。
時に意見はぶつかりますが、自然の摂理に逆らわないことであれば、傾聴することに努めます。
三人それぞれに、異なる性質と考え方を持ち、そのお陰で私達は役割分担が自然に出来、支えてもらってるのは、いまや私の方となりました。
きっとこれは、人間関係においても同じだと思うのです。
恐怖を手放すだけで、結果が変わることはあったと思います。
子どもという名の、一人のニンゲンを信じてあげてください。
彼らは無条件に愛してくれる素晴らしい存在なのです。
一人の人の人生を託された、壮大な事業が親という役割だと思っています。
離婚しても諦めないで。
離れていても見まもることはできます。
こうして、信じ合うことができれば
心はいつも繋がっている素晴らしい関係が築かれています。
目の前の、一番近い人間関係ですべての人が幸福を感じることが出来たら、大抵の憂いは軽減していくのではないかと思うのです。
今日も皆さんありがとう。
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