滞在していた家の近くの村。
そこに彼は住んでいる。
この人のおかげで私のTanzania滞在は素晴らしいものとなった・・・・・。
初めて彼と会ったのは着いて数日後だっただろうか。
その後、小学校やNGOのトップ、婦人団体等に私を紹介してくれたのは彼だ。
スワヒリ語では挨拶くらいしか出来ない私に、嫌な顔もせず最後まで好意的に接してくれた。
私が帰国して現在、
「次に私が来るのはいつだ?」
と息子に言っているらしい。そんなに頻繁に行く余裕がない(笑)。
大切な畑
彼の家を初めて訪問した際、有機栽培の畑を見せてくれた。
Ruzera
いわゆるハーブティーの”ハイビスカス”
彼の家の周り
夕陽と静寂が心を癒やす。
レモングラスやマンゴー、キャッサバなんかも育てていた。
ヤギや鶏もいて、堆肥ももちろん自家製。
コンポスト;牛の糞を小屋の下から外に出して堆肥を作っている
キャッサバ
ママエスタが外の小屋で薪で焼いたチャパティ、そしてブレンドのハーブティーを持ってきてくれた。
甘味が強いミルクティーを出してくれる家が多いのだけど、彼の家ではいつもこれを出してくれる。
食べる前に水で手を洗う。
ママが、プラスチックのデカンタと水うけ用の容器を持ってきてくれて、少しずつ、それも殺菌のためか、一度沸かしてから冷ましたぬるま湯をかけてくれる。水道はない。井戸から水を汲んできている。手を洗う作業ひとつとっても、とても丁寧な暮らしだ。
日本と違い来客一人でも大変だと想像する。
なのにママエスタは文句ひとつ言わず笑顔で
Karibu!
と歓迎してくれた。彼女がMama Esta 。
娘のエスタのママという意味だそうで、彼女自身の名前は知らない。武者小路実篤の母みたいなものだな(笑)
親戚の家
彼が私を親戚の家に連れて行ってくれた。
その農家はシステムがすばらしく家畜もたくさんいる。
卵は山積み、テレビもあり電気も通っている。(農村では、皆電気が通ってるいわけではない。)
自分の敷地に井戸を二つ掘っていて、そのおかげで作物の育ち方が他の農家とは全く違う。
収穫量の差でこんなに生活が変わるのだと思った。
ここでも食事を出してくれた。(カメラを持っていなかったので写真がとれなくて残念)
青バナナとチキンのクリーム煮込み。日本人の口にも合う。
鶏ガラスープベースに、青バナナは例えるならサトイモとジャガイモの間のような味。
親戚もたくさん集い、綺麗な大鍋で振る舞ってくれた。かなりのご馳走なのだと人々の様子を見て感じた。
やっと食べきったら二杯目をいれられて断れなくて困った。食べきると必ずおかわりをいれるのがこちらのもてなし方らしい。
満腹になって帰路についた。
キマンボは留まることを知らないくらい前に前に進んでいく。
損得など考えず、どこまでも情報をつかみに行き、誰にでも提供する。
私利私欲がないのはすぐに見てとれる。
与える人であった。
貧富の差
彼らは本が買えないので、NGOのパンフレットなどは隅々まで読んで大事にとってある。
公務員などは給与が高いのでパンフレットに落書きをして捨てる人もいるときいた。
貧富の差は大きい
そんな中で彼は、農作業の合間の僅かな時間を繋ぎ合わせて脚で動いて情報をつかみ、人間関係を構築している。
有り余るほどのガッツがある、すばらしい50代である。
次々に人を繋いでいく。こういう人こそ公務員にさせてあげてるべきじゃないのかと感じた。
私達先進国民にたかったりもしない。こちらの方が世話になりっぱなしで申し訳ないくらいだった。
こういう人といると、日本人の追いかける「価値」がとてもおかしくみえてくる。
どこかで誰かが楽をすると どこかで誰かが苦しむ
他国を訪れるたびに、自分の在り方を考える。
日本人はいったい何に優先度を置いているのだろう……
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