子育て

子育てが一段落し、彼らの向かう道が必ずしも親が納得できるものだとは限りません。

ワクワクしない、嬉しくもない。家族のことでもそんな風に感じることはあります。決して私自身の好き嫌いや支配欲ではなくて……

しかしながら、その感覚も個人差があり、私が決めることはできません。家族であっても別のニンゲンですから。

私の分身などこの世には存在しません。自分に感じても、同じ感覚を家族が持つとは限りません。シックスセンスを退化しないようにと、幼少期から生きてきた私と、感覚のことより目で見る世界を生きてきた彼らとの違いはハッキリ感じています。

だからこそ、子育てはこれでもかというくらいやりきっておくべきだと思いましたし、離婚して別居していてもそれは可能でした。彼らには、生きる力として教えるべきことは教えました。

食事も30品目を目安に手作りし、料理も教え、自然治癒力にまかせるなどの身体の守り方も本人たちは知っています。生まれたときから「MAHIRO思考」を様々な角度から体現して見せてきたようなものでした。

これで個々が私と真逆の選択をするときは、遺伝的なものだと諦めています。

彼らは決して私にはならないし、半分は他人の血が混じっていて、それぞれが遺伝的発現の仕方も異なっています。

時に知人たちは、彼らが私と似ていることを期待しますが、それはとりもなおさず、彼ら自身が子供をコントロールすべき存在だと認識してしまっている証になります。

私と彼らは全く異なっています。マリオネットのようにコントロールはできないのです。

それでも親という立場になったからこそ、人並みの感情はあり、このように伝えてきました。

 

親孝行とはお前たちが徹底的に幸せになること

 

ゆとり以降の日本人の寿命は、現在の日本の高齢者のように長くはないような気がします。所属する研究会の遺伝子の権威と二人でそのような話になり、自分の直感と一致していることは、嬉しいことではありませんでした。

自分だけでなく、我が子もいつ死ぬかわからない、これが現実です。だからこそ【いま】の幸福を追求して生きて欲しいと願います。

 

今春、次男と娘も社会人となりました。これから彼らがどう生きていくかということと、私が今後どこに向かうのかということは別の話なのです。

もちろん生きている限り、問題を起こすこともあるでしょうし、親をやめるわけではありませんが、とりあえず30年の親業は一旦終止符を打てそうです。

動物たちが大人になり群れを離れて行くように、自分のもとで大人になった彼らの生きる力を信じていたいと思います。

30年の親業をやりきった感覚があります。それについては一切の後悔がありません。

執着は幸福と縁のない感情であり、生きる場所は自分で見つけるべきものだと思います。

私達は何かを所有しているという勘違いで、この地球で胸を張って生きていますが、本来、ホモ・サピエンス単体に所有出来るものなどありません。

我が子であったとしても、この壮大な地球上の循環するエネルギーの中の一部でしかありません。

そのような世界の中で、私の身体を通してこの世に生まれ出てきた彼らとの出会いの奇跡に心から感謝しています。

未来に幸あれと願ってやみません。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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