植物との戯れ

雨上がりの庭。

早朝の土の匂いは身体の中までしみわたる。

マルベリー。

このところ、毎日収穫している。もう14年一緒にいる樹だ。今年は例年より少し実が小さい。畑で収穫した苺と一緒に冷凍保存している。

ブルーベリー。

3株育てているがまだ2年目なので樹は子供だ。なにがどう良くなかったのか、1株花が咲かなかった。昨年はほとんど鳥に食べられたので、今年は少しくらい私たちにまわってきたらいいと思っている。

無花果の樹。

本当は地植えにしたいけれど、ここはとりあえずの住居なので、一緒に旅をできるように鉢植え。買って二年目の今年は実をつけてくれるだろうか。子株も挿し木苗で育てているが、ここまで大きくなるのに数年はかかりそうだ。近所に自生する無花果の樹はもう数十年生きている。この無花果もそのくらい大きくなれば嬉しいけど、私の代では無理そうだ。娘が引き継いでくれることを願う。

カレンデュラ。

たくさん種まきしたけど4株しか育たなかった。やっと蕾がついた。温室などで気温の管理をしていないので、販売している苗より生長はずっと遅い。でもその環境で生き残った強い苗の花の力は、オイルにしたとき私の肌に良い効果をもたらしてくれると思う。ありがたい地球の恵み。

ジャーマンカモミール。

これも種から育てた。カレンデュラ同様、5株しか残らなかった。昨年は2株だけ育てたが自分で消費するにはちょうどよいくらいの収穫があった。全部化粧基材にしたが、今年はティーとしても少しとりこみたい。葉っぱまで甘い香りがする。娘が大好きなハーブ。昨日支柱を立てた。ナメクジにやられませんよう・・・・・。治癒力の高いハーブなのだけど、すぐに虫もつくので、毎日様子をみてあげないといけない。

ローズゼラニウム。

剪定してもどんどん大きくなる。挿し木苗ですぐに殖えるので、玄関前の小さなスペースに地植えしている。このコーナーは1年草や、大木にしたくない樹木を植えて、いざという時はごそっと全部掘り返して連れて行くことができるようにしている。先日剪定したローズゼラニウムで蒸留水を作った。原始的な方法で作るので、蒸留器ほどうまくできないのだが、自分の化粧水ベースに使う分くらいはなんとかなる。とても良い香りで、庭の広いスペースに挿し木苗も育てている。蚊よけにもなるので玄関の両脇や窓辺に鉢を置くといい。

バラで咲いているのはいまはこの子だけ。昨年ホームセンターで枯れそうになって処分品になっていた。そのまま放置したら人間に捨てられるのだけだった。バラに関しては枝一本5枚葉ひとつからでも助けて大株にしたくなる。過去にもその状態からかなり大株にしたコーネリアとラ・レーヌ・ヴィクトリアは息子たちに譲り、家の玄関を彩った。近所の人が香りと美しさに誘われてよく観に来ていたらしい。

なぜだかオールドローズに惹かれる。原種に近く、長い年月を生き延びてきたからなのかもしれない。ニンゲンの手ができるだけ加えられていない植物には畏敬の念が湧く。耕作放棄地の雑草にも生命力のすばらしさを感じるのだけれど、それは完全な地球システムをどんどん蝕んでいき、自分たちで殺し合いをするような哀れな人間とは比べ物にならないほど強く賢いからだ。

ミニトマト。

畑でも隣人にいただいた苗や購入したトマト苗を育てているのだけど、庭では種からまいて1株だけ大きく育った二代目のトマトを鉢植えで置いている。

どちらかと言えば、畑より庭仕事が好き。畑でしか育てられない南瓜や芋や西瓜など(たくさん収穫したいもの)は仕方ないけれど、もし自分独りなら畑はやらないだろう。あまり食べないし、小さな庭があればそれでいい。うちの家族は誰も作物を育てないので、仕方なく私がその役割を担おうと思ってやっているが、母も亡くなったし、便利な生活を好むメンバーはスーパーで買えばよいのでは?と思っている。もはや目的は、グラウンディングのためや微生物や菌をさらに取り込むためで、自分の身体に土の恵みをいただいていると考えている。野菜作りはひよっこで運試しみたいな出来栄えだけど、野菜たちも生きているわけで、遺伝子組み換えされた新品種より在来種を大事にしていきたい。鳥や野生動物に食べられることもあるけど、必要以上に独占しないよう、いくらかは諦めることにしている。

いま苗を育ててるのは落花生や唐辛子。保険用のミニトマト。

これは昨年穫れた落花生を数粒だけ置いてあって蒔いたもの。1年たって食べる方が美味しいので1つ食べてしまった。1つはもちろんシェリーにあげた。ちゃんと綺麗な葉っぱが出てくるんだね。子供の頃からナッツ好きの私にとってはこの光景は感動的。

昨年穫れたヒマワリの種はリンとコロンの食べ残しから芽が出たものなんだけど、シェリーのおやつ兼非常食にストックしてある。半分は鳥たちにあげたけど結構とれた。今年も畑で育っている。

畑の方にはシェリーの食事になるようなものをまだ植える予定で、多分野鳥に大半やられてしまうのでたくさん収穫できる自信はないけど、雑に雑草地帯にバラマキして育ててみようかと思っている。蕎麦は、蕎麦茶にして母に持参したり、シェリーの毎日の食事の一部とした。自分たちの蕎麦をうつほどの余裕はないから、今年は多めにやろうかな。でも一人で収穫して手作業で実をとるのは、かなりの労力。昨年は母が殆ど手伝ってくれて綿くりも蕎麦の実の整理もなんとか済んだけど、今年は自信がない(笑)癌の療養でうちに住んでいたのに、収穫シーズンだったので見るに見かねて手伝ってくれていた。

小さい時から農業を手伝わされた母の知識をもう少し伝授してもらいたかったのだけど。井戸で水を汲んで、化成肥料や農薬を使わず、肥溜めがあった時代の農作業と、家事全員分を一人でやらされていた子供時代。あの忍耐力と知恵は、活用されることなく都会で生きて逝ってしまった。私はいつのまにかそのエピジェネティクスを無駄にしない生き方を選んでいたのだと最近になって気づく。

地球の循環って本当に不思議。昆虫や鳥や鼠が知っているように富はきちんと目の前にある。ニンゲンが余計なことをしなければ。身体が動かなくなった時が死ぬとき。それが地球が創ったシステムなのだと思う。きっとそこまでは、どんな生命も懸命に生きるのだろう。

光と風を感じる感覚器と、地球の生命エネルギーが視える目を大切にしたい。

煌く多くの生命と、確かに今ともに生きていること。その記憶と意識の交流を何よりも大切にして次の世界に行こうと思う今日この頃。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

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