日本は水に恵まれた国です。
だからこそ、それが当たり前になりすぎて気づかないで生きてしまったのです。
アフリカなどでは乾季の時には畑もひび割れてしまっていました。
スプリンクラーなどを導入できる人はそう多くはありません。
村の人々は、共通の井戸にお金を払って何度も生活用水を汲みに行くのです。
多分、生まれた時からその様な水にまつわる話を、テレビなどで何度も観てきたことかと思います。
何事もそうですが、そのチャンスを対岸の火事として見過ごしてしまえば、気づきや学びを授かることはありません。
そして出したエネルギーは自分に還り、いずれ自分自身が困ることになります。
清流として有名だった川の水に、合成洗剤や農薬、除草剤を垂れ流し、自分たちの水は消毒された水道から出る水しか使えなくなりました。
見た目が美しいからと言って、短絡的に川の水が綺麗だと判断するわけにはいかないのです。
水や土に対して愛と感謝の気持ちを持っていないと、安易に毒を流してしまいます。
そして生物は息絶えてしまいます。
土と同じ、地球が用意してくれた万物への貴重な水を『ニンゲン』が破壊していくのは辛いです。
人々の為に考えられたシステムが、人間を繫栄させ、結果的に地球を傷めたのかもしれません。
いつのまにか、誰のものでもなかった水に高額なお金を払うようになり、他生物を絶滅に追いやるのは避けて通りたい道です。
水の力はとてつもなく大きく、汗を流して衛生状態を保ち、手を洗えば病原菌も流してくれます。
泳いだり、温泉に入ったりもできます。
また、日々の何気ない生活の中でも大いに活躍してくれています。
野菜についた虫は水につけておけば浮いてきますし、汚れもとれます。
ざるの様な細かい網目の間も、さっときれいに流してくれます。
洗濯機でも手洗いでも、衣類を清潔に保つために水と太陽は最強です。
だからこそ、自分が使うものを吟味しなくてはなりません。
山から湧きだす水を飲むためには、土に埋めるものや撒くものも考えなくてはなりません。
水を断てば、生物はあっという間に息絶えます。
飲める水は少なくなりました。
先人が大切に守ってきたものを、いったい誰がこんな風にしたのでしょう?
今からできることは何でしょうか?
地球を破壊する荷担メンバーには出来る限り入りたくありませんが、都会に生まれてアスファルトの上に暮らし、誰かの栽培した野菜を食べ、虐待された肉を喰らって生きてきた自分は間違いなく荷担者です。
出来る限り自己完結できるようスキルアップを図っていますが、半世紀生きてもまだまだ十分ではありません。
もし未だサピエンスが生き残るために諦めないでいるとしたなら、産み出したゴミを無効化する技術に智慧を使い、地球の自然治癒力を高めるお手伝いをすることも大切です。
他生物や自分の子孫、地球を愛し守る方法を考え続ける大人でありたいですね。
現在、一部の人々が移行しようとしている『不便な生活』はそのような地球に対する愛が根底にあるのではないかと考えます。
自分もそのような一員になるために、今できることを今日から始めることが大切な気がします。
一人で何をやっても、なかなか良くはなりません。
絵本のスイミーのように、小さな力が合わさって大きな力になるのでしょう。
何事においてもそういう意識の集合体が必要ですね。
どうか生物が皆、公平に生きて逝けますように。
美しき緑の星が存続できますように。
万物に愛を。
今日も皆さんありがとう。
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