媚び諂う

自分より思考回路を多く持つ人や、自分が価値を置く「モノ」をたくさん持つ人を目の当たりにしたときに大抵の人は同じような行動をするように思います。

そして、その行動から逆算するとその人が何を考えているのかがわかるのです。

日本の場合、通帳の印字の桁や肩書に媚び諂う人が多いように思いますが、これは人間の習性なんでしょうか。

小さなところで言えば、正社員について媚び諂うアルバイトや、いじめっ子に媚び諂う使い走りなどでしょうか。

または、知名度の高い人には媚び諂うけれど、そうでない人の命の時間は搾取するという構図もよく見られますよね。

雀の群れを見ていても優劣はあり、食べ物を見つけると強いものから食べるんですよね。弱いものは食べようとしても突かれて食べられずにじっと待っています。殆どなくなってしまった僅かな残りを食べているので痩せています。ああして先に死んでしまうのでしょう。

優劣とは自然の摂理から見ると生命力のことくらいで、肩書や通帳の印字の桁ではないと考えている私は、相手がヤクザだろうと政治家だろうと、下町の店主だろうと関係なく、基準は動物として賢いかとか、生命力が強いかというところしかないのではないかと思っています。

自分の生命力が弱いのだと潜在的に判断している人々は、とりあえず権威には媚び諂い利用します。あれは生き残る智慧のひとつなのだと感じます。

媚び諂う人々が本人も気づかぬところで周囲に不信感を持たれたりしているのは、「媚び諂う=生命力が弱い」と本能で判断されているのかもしれません。

みんな死にますから、その生命力の強弱さえ意味がないような気もしますが。

もしも人間が作った車や銃や爆弾がなければ、細菌やウイルスに勝てるか、他の動物に殺られないか、狩猟採集に長けているか、子孫をきちんと守れるかなどの本能的な判断を、ひとりでに自分たちの脳がするのかもしれません。

そういう観点からみると、銃を持つ人や、戦争をしたがる人に媚び諂うのもわからなくはないのですが、長期的にみれば、子孫が生き残るための地球の生態系が失われたり、搾取され続けるという不条理な未来を自分の手で選び取ることにもなるかもしれません。

弱い人は強い人を利用します。

媚び諂うのは仕方ないかもしれません。

しかしながら、時代の終末期などにその判断を誤ってしまうと、滅びる部類になってしまうこともあるでしょう。

人間は群れる動物なので、やはりリーダーは必ず現れると思うのですが、これを一辺倒な判断ですると、今後の時代は生き残れない気もします。

短期的には物質はその場を凌ぐことはできると思いますが、長期的に子孫を助けるのは失うかもしれないモノや、ひとたび革命が起きれば価値が変わるかもしれないシステムではなく、智慧と強い身体なのではないかと思います。

現代は、そちらにシフトしている人が増えているのではないかと感じている私は、果たして滅びる側なのでしょうか……

綺麗事の仲間ではなく、同類と言う意味の仲間は会ってみたいと思いますが、誰に媚び諂えばいいのか未だにわからなくて、そろそろ絶えそうになっています。(笑)

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

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