リアルはファンタジー

何もかもファンタジー。

こんなに誰かのお話を信用する人々で溢れかえると、ついついそこに引き込まれそうになりますが。

ニンゲンは全員、お話を創って生きていることを忘れないようにしたいものです。

明日のことは誰にもわからない、だから自分が何を信じるかで未来は変わります。

それを「思考の現実化」というのです。

とても簡単なことです。

「今日と変わらぬように明日の朝も起きて弁当を作り、朝ごはんを食べる」

と決めているからそうします。意思の問題です。

「息子は歩く」と決めたから歩きました。医療従事者であれを説明できる人はいません。

私がそう決めただけです。息子もそう決めただけです。

それもこれもお話づくりなのです。

ニンゲンはやたらと意味を求めますが、本当は単なる生物の一種なので、喰って寝て出して交尾して・・・・を繰り返しいずれ死ぬだけです。そこに意味づけをしなくてはならないことに、ニンゲンという動物の弱さがあるのだと感じます。

支配したがる人は、多くの「数」を承認のために求めたり、数が自分の価値のように「勘違い」したがります。

誰に認められなくても山のてっぺんで独り生き抜く人もいますしその人に価値がないわけでもありません。「価値」を定義する誰かのシナリオはその人だけが信じればよいもので、実際は他者にとっては関係のないことです。皆が合わせているから成り立つもので、先住民のように関係ないと思う人が増えれば成り立たなくなるものです。

そのような中でスラムや路上などで生き抜いている人の方がよほど強いと思うのです。

従う人もまた、自分で考えるのが面倒だったり、隣人より優位でありたいと自己承認にそれを利用しているだけなのでしょう。本当は生きているだけで価値があり、地球が何かを生み出したということは、生きていけるだけの環境がそこにあるということです。生きるためのものが不足すれば勝手に淘汰されます。

ニンゲンはみな主観的な目線でお話を語ります。私もそうです。

支配欲も孤独への恐怖から来ているとエーリッヒ・フロムは述べていますが、私は潜在的に自己の生命力の弱さを察知しているからではないかとも考えています。子どもを支配したがる親も、恋人を支配したがる人も後をたちませんが、あれはまさしく孤独への恐怖でしょうね。

地球の上に数え切れないほどの生物がいて、孤独になりたくても死ぬまでなれないのが現実です。

動物たちは種をこえて愛し合ったりしているように見えますが、ニンゲンにもできるのではないかと考えます。鳥や昆虫や魚と戯れて幸福でいることは可能でしょう。

でもひとたび「孤独」で「自己に価値がない」と頭の中でお話を創ってしまうと、自分の世界が現実にそう思えてくるのです。

貨幣をたくさん持つこととも、とても良く似ていますね。

沢山何かを持つから生物的価値が上がるかと言えば、必ずしもそうではありません。

誰のものでもない土地や水や海を必要以上に所有することでしか、自己承認できないとしたら哀れだと思いませんか?

もっと身近なものでも思考の現実化は起こっています。

「いつか○○する」と決めている人は「いつか」なので明日それがやってくることはありません。やると決めた日にスタートできます。

いつも誰かに「お金をとられる」と決めて猜疑心に苛まれる人は、結局何らかの形で誰かにお金をとられます。本人がいつも頭の中でそう決めているからです。

地球上のエネルギーが一定だとするなら、死んだ個体はバラバラになり炭素や窒素や燐になって、今また生まれるものの身体の構成元素となるのでしょう。輪廻転生とはそのことを言っているのではないかとも思えます。死んでみないと確認できませんが、もともと何も無いのかもしれません。また、原子が融合すると意識が生まれるとするなら、昆虫にも植物にも意識はあるでしょう。もしかしたら原子そのものにも意識はあるのかもしれません。

また、動物実験はやめてもらいたいものです。そこまでして分からなくてはならないものなどありませんし、生物が皆死ぬと仮定するなら、当たり前のことを必要以上に怖がるのはやめた方が賢明です。

もちろんこの理論だけで説明できるほど、人間は自己潜在意識を把握できてはいないし、簡単ではないと思います。

陰謀論だとか、デマだとか、これが正しいとか間違いだと決めて個人を批判する人は、ニンゲンが全員お話を創る生き物だとわかっていないのかもしれません。いうなればすべてがデマですべてがファンタジーです。平常は万人に通用する価値観を前提条件において話していますが、掘り下げると結局そうなるのです。相手の話がファンタジーだと言ってしまっては誰とも会話もできないので、きちんと傾聴しますが、本当は何もかもが創作です。

物事が何に置き換わったとしてもニンゲンに共通することや生き物に共通することはいつも変わりません。

地球があると仮定して、そこからわいてきた生物の一種であるニンゲンが地球を支配することなどできないでしょう。増え過ぎたら減るというのは自然の摂理でしょうし、自分が今日淘汰されるかそうでないかさえ、自分のお話創りにかかっているかもしれません。

他者を差別したり、恐怖で自ら病になったり、孤独でもないのに孤独だと思い込んだりすることをやめて見れば、案外あっさりと地獄が天国に転じるかもしれません。

また、人々が面白くもない悲劇のファンタジーのエキストラになるのなら、そこに関与しない別のファンタジーの主役で生きるのも道のひとつです。

誰のせいでもなく自分の思考が創ったファンタジーの中で生きているのがニンゲンなのです。

 

真実は虚無 リアルはファンタジー

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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