支配からの脱却

人間社会はいつの時代も他者を支配したい人で溢れかえっている。

私たちはゴキブリや蚊と同等の地球上の生物の一種だ。

まるで世界を牛耳っているかのように胸を張るニンゲンもいて、幼少期からずっと『ニンゲン優位論』が本当なのかどうかを確かめてきたように思う。

そして小学校で理科や社会を習ったときにわかった。

ニンゲンは地球上の生物の一種である

なぜ女を支配したがる男がいるのか、子どもを支配したがる親や教育者がいるのか、自分で選択判断しておいて誰かに責任転嫁するのはなぜなのか、といつも考えていた。

ニンゲンの創ったお話である、誰かの主観的な考察は、自分自身の意見も含めてすべてファンタジーだ。

この世に真実はない。

脳が電気信号で知覚しているのだとするなら、なにもかも自分のその電気信号の変換の問題である。

これに不具合が起きているのか、そもそも具合が良いも悪いもないのか、電波の強いヒトに、弱いヒトが共鳴していくのか、などなど・・・・・・。

そのような視点で見ると、争いも恐怖も生死も、多くの人とは異なって視えてしまう。

 

世界は本当は何もなく、100%自分が創り出しているだけかもしれない。

誰も『生きて』いないのかもしれない。

地球の中の元素がバラバラになったりくっ付いたりすることが生死かもしれない。

融合したときに埋まれる電気信号が『意識』かもしれない。

人間たちはその電気信号の磁気みたいなものを『感覚』と呼んでいるのかもしれない。

こんなことを普段から考えていると、ニンゲンだけに限った『意味づけ』を到底正しいとは思えない。

 

結局この世に正しいことなんてなにもない。

わからないことはわからないままでいい。

わざわざ何かに意味づけをして争うことは賢明ではない。

私たちは自分の腸内細菌さえ支配できず、皮膚の常在菌すら支配できない。

何も支配できないから支配したいのかもしれない。

すべてはゲーム。

なら、各々が自分の楽しいゲームをすればいい。

涙なんて流さなくていい。

笑いあえればいい。

自分のことは自分で決めて、生きて死ねばいい。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

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