2013年初頭、東南アジア四か国を行き当たりばったりで一か月周遊した。
その中で一番印象に残っているのはカンボジア。
日本人に人気のアンコールワットではなく、プノンペンに一週間ほど滞在した。
ゲストハウスは、安くて案外快適。人々もとても優しい。
街とゲストハウス
空港からタクシーで街の中心部に行ってもらって、「地球の歩き方」を片手に前もってチョイスしていたゲストハウスを何軒かまわって決める予定だった。
日本でいうビジネスホテルくらいの広さ、シャワートイレ、冷蔵庫付きで一泊10ドルほど。コンロはないので、近くのマーケットで食べるか、一階のレストランで食べるかの選択。値段はあまり覚えてないけど、ローカルなので安かったはず。
これは中心地の市場の様子。食材を買っても調理する設備がないのでもっぱら果物を買ってた。カンボジアはフランス領だったらしく、街で売っているパンも、レストランのフランスパンもすごく美味しかった。
市場の一角に料理を食べられる場所がある。そこで食べていたのが麺類。まあまあうまい。
ゲストハウスの一階のレストランでは10代から20代の子たちが朝早くから晩遅くまで毎日働いている。
英語の通じる子は少なかったけど、どうやら出稼ぎに来ている様子。
すぐに仲良くなった。毎朝出かけるときに私に手を振ってくれていた。
この子は18歳だった。お客さんがひいて手がすいた時に私のテーブルにきて色々話した。毎朝、手を振ってくれた子。
彼は24歳、折り紙の鶴を見せたら、奥に持って行ってあっという間に同じものを作ってきた。素晴らしい!!!
頭の回転がとても早い。もちろん、彼は初めて鶴を折ったんだけどね。そのあと私にハート型の難しそうな飾りを折って「はい、チャレンジして!」って。
仕方ない、やるしかないか・・・・・ってことで、見よう見まねで完成させた・・・・・よかった~(笑)
虫ね!これ。
チャレンジしないわけにはいかないけど、この缶いっぱいはさすがにきつい。なので、「Half posion please」って言って半分だけ袋に入れてもらった。きくと、この虫っておやつなんだって。芋虫かな・・・・
おそるおそる口に一匹。皮がしっかりしてて噛むことは避けられない。ぷちっと、想像どおりの感触。「なにかと味が似てる・・・・」「あ、エビの頭の味噌っぽい」がんばって5~6匹食べたけど、まだたくさんある。
トゥクトゥクに乗ったとき、運転手のこどもが外国人を怖くて硬くなって前を向いたまま肩に力入りすぎて動かない。だから、これどうぞってプレゼントした。でも、外国人がやはり怖い。笑うこともできない。お父さんがもらっておけと言って喜んで受け取ってくれた。(笑)
トレンサップ川の近くのお寺に入ってみた。
豚の丸焼きはお供えらしい。みんなとても信心深い。
川沿いを散歩していたら、女の子が何か食べてるから話しかけてみた。
そうしたら「食べてみる?」って差し出してくれた。
ひな入りゆで卵!!!さすがに羽らしきものも見えているし、触感がいいとは思えなかったので、丁重にお断りした。「美味しいよ」って言ってたけど。次回カンボジアを訪れたらチャレンジしようと思ってる。
トゥールスレンとキリングフィールド
街の旅行会社にいって、カンボジアを訪れた最大の目的だった所へ行くために、車のチャーターとガイドを雇った。
トゥールスレン博物館。元は高校だった場所。ポルポトの虐殺が行われたときに、人々が監禁されていたのがここ。医師・教師・技術者・学生、知識人が迫害され、その数は200万人にのぼると言われる。
ここは男性の監禁部屋。女性の方は木製の扉だけど、男性用は頑丈。
これが実際に拷問を受けていたベッド。足かせが驚くほど小さい。
此処に行く前に、私が得た予備知識というのは本と映画。
葉田甲太さんの「僕たちは世界を変えることができない」
本もDVDもどちらも持っていて何度も観た。
もしもカンボジアに行くなら、ぜひ観ておいてほしい映画だ。
車で移動してランチを食べながらガイドの女性と話した。彼女は普段はアンコールワットで日本人相手のガイドをしている。よくわからないが、私みたいな日本人は初めてだと言っていた。
夜になると日本人からは「お誘い」がくるらしい。それがうんざりだとか。また、ガイドでレストランに入っても食事は誰も共にしてくれないらしい。
私が一緒に食べようと言ったのでとても驚いたらしいのだ。だからなのかこの後、彼女は色々な話をしてくれた。
こういう出会いがあるから、旅は面白い。その国がとても近くなる。
単にホテルに泊まって綺麗な部分だけ切り取ったら、きっとこの国のことは何もわからない。もちろんたった一週間でわかることなんてないけど、だからこそこうやってしっかり現地の人と関わってみたいと思うのだ。
ランチのあと、入ったのがキリングフィールド
人々が殺された場所。赤ちゃんも殺されている。
これKilling Treeと言って、赤ん坊が打ち付けられていた木らしい。
掘り返すことが出来なくて、地面には骨と服がところどころ埋まったままになっている。慰霊塔には頭蓋骨がたくさん並んでいた。とても重い重い感情でここを後にした。
ガイドに頼んで小学校に連れて行ってもらった。
一年生の教室。総勢70人を一人の先生がみてる。
彼らは外国人が珍しくて後ろばかり振り返って授業にならない。授業の邪魔になるので昼休みまで外で待つことにした。
持参した折り紙で紙風船と鶴を折って「みんな、やってみよう!」と言ったのに・・・・
クメール語で「やって!やって!」と口々に叫び、45分の昼休み、私はマシンのように折り紙を折りっぱなしだった。70名全員が欲しいわけで、45分で全員の分を折るとなると、息つく暇もなかったのはご想像どおり(笑)
でも先ほどのキリングフィールドとはうってかわって、とても平和な時間だった。
帰り際は見えなくなるまでずっと先生と一緒に手を振ってくれた。先生は何度も有難うございましたと言ってくれた。何もしてないのに・・・・
ガイドの女性は、かつてのようなことがいつ起きても不思議ではないし、国民はどこかでそれを不安がっていると言う。
彼女はそれでもカンボジアが好きだから、ここで頑張っていきたいと話していた。
印象に遺る国だった。
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