個々の世界は全く違います。
あなたの赤と私の赤は同じとは限りません。
あなたの味覚と私の味覚も同じとは限りません。
皮膚の感覚も。
つまり脳の電気信号も。
自分が見えている世界や感じている世界は、あなたが信じているもので出来上がっています。
信じることをやめたらその世界はなくなります。
例えば、恋愛相手が自分を愛していると信じているときは、そうとしか見えません。
交際して半年くらいは大抵の人がそう思い込んでいます。
ところが、浮気をしていたとか、実は犯罪に荷担していたなどと知ると、途端に見えるものが澱んでくるのを、大人なら一度や二度は経験しているでしょう。
友人に裏切られたり、仕事の約束を破られるような時も同じですね。
つまり誰かが嘘をついていても、気づかない人はずっと幸せな世界に生きているのです。
そうでない人は、全く異なる世界を見ています。
そもそも全てが個人の創作なので、真実など何一つなく、潜在意識を限りなく自覚している人の辻褄の合う話だけが、極めて正直に聴こえたりします。
視覚もそうです。
オーラが見えるなどの共感覚を持つ人は、相手の意識が色で見えたりします。
声が形で見えたりもします。
赤という色一つとっても、自分の感じている赤とは異なる可能性が高いのです。
同じ赤なのか異なる赤のかも、永遠に証明はできないでしょう。
面白いことにこうして何もかもが違っている可能性が高いのに、同じだと定義して話す人が非常に多く、それが摩擦を産んでいます。
このようなことをつきつめていくと何もかもがバカらしくなり、誰かとまともに話せなくなります(笑)
ですが、決して虚無感を持てということではなく、それぞれの電気信号が世界を創造しているのなら、あえて地獄を創らずに、心地良い世界を創れば良いのでは?といつも思って顔を眺めてしまうわけです。
なんのために懸命に生きている他者に迷惑をかけたり、喧嘩をふっかけたり、虐めたり、奴隷として扱ったり、または従ったりするのでしょう。
何のために、懸命に生きてる動物を殺戮したり虐待したりするのでしょう。
何のために牛や豚や鶏を殺して喰っているのでしょう?
そういう生き物たちはいったい、何を信じてどんな世界を創っているのでしょうね。
今日も皆さんありがとう。
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