謙虚になるのは素晴らしいことだと思います。
「間違った英語を使ったら失礼だから完璧に覚えてから海外に行こう」
「責任をとりたくないから、ここは言いたいことも言わずに、口をつぐんでおこう」
ハッキリ意見する人は敬遠されたり、人々に利用されたりします。
自分たちは前を歩かないけど、少年兵に地雷原を歩かせて、安全かどうかを確認するアレと同様ですよね。
最近、トラジックニュースのせいか、他者を正しいだの間違いだのと争いも増えてきて巷がざわついていますね。
ニンゲンは生物の中で一番バカです。もちろん自分も含めてです。
子どもの頃から変わらず、私はずっとそう思っています。
ニンゲンが話すことなど、何語であってもすべてその人の創ったお話です。
どれも信用できないし、期待しても無駄です。
「うわあ、お話づくりがうまいなぁ」
とか
「下手くそ過ぎておもしろくな~い」
程度で聴けば、腹も立たないものです。皆対等ですしね。
誰がこういった、ああいったと、後出しじゃんけんのように粗さがしをする人は、誰かを劣性に定義し、優位に立ちたいだけなのです。
傍観者は、誰かが非難されると
「ああ、黙っていてよかった」
と胸をなでおろし、なにも行動しません。
同時にいつも誰かの言動や行動を利用していて、黙秘を貫きます。
確かに、よくわからずに知ったかぶりで偉そうに言う、自信満々な青二才も存在します(笑)
けれども私たち何十年も生きた年寄りだって、かつてはそいう失敗を繰り返しているでしょうし、長い目でみてあげればよいことも多いのです。
大切なのは優位に立つことではなく、その真意を見抜くことだと思うのです。
意識を見て、好きなら付き合う、嫌いなら付き合わない、でよいのではないかと。
誰かの一挙手一投足を監視しコントロールしたがる人は、その人のことが本当は気になって仕方なく、大好きなのでしょうね。
自分を守れるのは自分だけです。
何事も自分の頭で判断と選択をしていますしね。
自分で責任をとりたくなくて他人のお話を採用するとしても、誰を採用するかは自分で決めています、結局。
でも本来は、誰もが好きにお話を創ればよいと思いますし、自分の命のストーリーは自分で描く方が楽しいです。
他者の一挙手一投足を監視する人は、きっと死ぬまでその領域をぐるぐるまわっているのでしょう。
そんなの、何が面白いのでしょうね。
あなたも自分の人生のお話、考えてみませんか。
今日も皆さんありがとう。
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