現実

どんなに学びが遅くても、もう気づいているだろう。

誰もあなたを助けようとは思っていないし、誰も誰かを助ける気はないってこと。

動物は自分のためにしか生きない

群れの中で相互扶助はできるかもしれないけど、貨幣なしで本当に信じあって助け合える人はそうはいない。

貨幣はある意味、支配のためでもあり、戸籍も同様だ。きっとアウストラロピテクスにもジャワ原人にもなかったものだろう。

大半のニンゲンが記憶を失ってしまったのかもしれない。それらは、完全自立した生き物には必要のないもので、事実、ニンゲン以外の生物はそういうものを持たなくても絶えていない。

 

すべてはシンプル。

複雑怪奇にしないといけない目的はなんだろうな。

生まれたものは死ぬ。

誰かに何かをおしつけ搾取した暇な時間が、恐怖という闇を潜在意識に深く植え付ける。

そんな暇があるなら、自分の喰うものくらい自分で作るがいい。

自分の着るものくらい自分で作るがいい。

それが出来なくなれば静かに眠るがいい。

生命とはそういうものなのではないだろうか。

 

昨夜、ゴキブリをたたき殺した。

私に殺された生き物はたくさんいる。

きっと私も最期は何かに殺される。

菌なのか、蛇の毒なのか、植物なのかわからない。

そういうものに勝てなくなるのが老化の一つ。当たり前。

自然の流れに逆らう不自然な恐怖は、いずれ嫉みになり殺意に変わる。

何に殺されてもかまわないけれど、ニンゲンにだけは殺されたくない。

それが思春期の頃の私の口癖だった。

そこにはニンゲンが創ったものも含まれる。

 

誰かが自分を助けてくれると思い込んでいる人は冷静になる必要がある。

動物は自分のためにしか生きない。

視なければならないのは『職業』でもなくその人間の持つ『資産』でもなく心の底に在る真意だ。

信じるものを間違えば、崖から転落する。

 

雀を見て、蜻蛉を見て、雑草を見よう。

真実は目の前にある。

 

採ったら還す。

畑と同じ。

土と同じ。

採ったままではあっという間に土は死ぬ。農業はある意味人工的な園芸なので自然に動物が還してくれる場所ではない。

どなたなのご家族を怠惰で贅沢にさせるために時間を使うより、自分が生きるための仕事を休まずする方が良い。

そうすれば飛躍的に自己は成長する。

 

陽光に歓喜し、鳥の鳴き声に耳をすまし、植物に畏敬の念を持つ。

何をするかよりも誰と生きるか。

 

もっと天高く昇ろう。

そうすれば手に取るように世界が視えるかもしれない。

 

万物に幸あれ。

 

 

 

 

 

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