読書の秋

秋は本を読みたくなる季節でもあるが、私は書庫を創るための材料集めを、二年ほど前から始めている。

以前は読み終わった本は、誰かにあげたり書店に持って行ったりして処分していた。

だが、急に湧き上がった感情は止められず、自分と波長が合う書き手の作品をとにかく手元に置きたい衝動にかられた。

かなり分厚い本もあって、まだ読んでいないものもある。

畑仕事に加え、独居の親の様子見、日々のサイクリングと言えるような買い出しなど、生きるための仕事に追われる毎日でなかなかゆっくり本を読む時間はない。

実家への往復での電車内、お昼の休憩、夜皆が寝静まった後などのつなぎ合わせ。

まだ読めていない本が6冊ある。それなのに、過去に図書館で借りたものを『持つべき本リスト』に加え購入したりして、この二年でかなりの本が増えた。

社会が変わって子供たちが真の勉強をするときにぜひとも読んでほしい本ばかり。

今のところ、私の買った本を好んで読む家族はいない。

どんなに素晴らしいと言われる人も、名もなきホームレスも、同じニンゲンゆえに共通していることがある。

一部だけ切り取って『正解』を求めたがるのもニンゲンのパターンのうちの一つだが、たとえ100年生きたとしても生涯で正解を見出せるほどに人間は賢い生物ではない。

だけどとても短絡的な思考に合わせるのも、人生の質が限りなく低くなってまったく面白くないので、言葉をツールにしている以上、仮説をたてて確認するという楽しみを持っていたい。(それもパターン化されたニンゲンの行動の一部だろうけれど)

それに役立つのが、もうこの世にいない故人の声や、生い立ちや体験談など、やっぱり子供の頃と同じノンフィクション。この出会いにワクワクする。

ファンタジー(創作)は自分で作りたい派なので基本的には読まない。

今日もまた一冊買ってしまった。

数日前に注文した本もまだ届いていないし、今月の発売日を待って購入した本もまだ半分しか読めていない。

だけど、自分が好きになった見たこともない著者との出会いは、本を通して一方的な対話となり、記憶の引き出しに入り、眠っている間に閃きを創り出してくれる。

誰かに傾倒することは嫌いだからしないけど、代わりに数えきれない生命との出会いが今の自分を形成していることは確か。

その一助となっているのは、間違いなく本である。

一部屋を書庫にできたら嬉しいし、先日観た映画のように、誰もいなくなった街の図書館で生活が出来れば楽しいかもしれない。

もう狩猟採集民には戻れないのかな(笑)

 

ところで、夢の中でコニーサンといた。

ただ一緒にいただけ。

良い夢だった。

 

 

 

 

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