理想郷

理想論を語る人を皆さんはどう思っていらっしゃるでしょうか。
子供の頃からそのような理想を語る人々と、批判する人々を見てきましたが、どんな人も理想郷はほぼ一致しているように感じました。

お互いに助け合い、平和で愛のある世界。私利私欲にはしらず皆で分かち合う世界。

でもそう言いながらなぜか独占し、他者を疑い、まだ来ない明日の事を無理だと決めつけて、自ら理想とは真逆の世界に向かって生きるのは、いったい何故なんでしょう。

そんなにニンゲンたちを疑っているのでしょうか。

自分だけが助かれば皆生きていけると思っているのでしょうか。

私と同じように、無人島で独りで生きたいのでしょうか。

私にはそうは見えません。

独りでいたくない。
認めてほしい。
愛してほしい。
怖くて仕方ない。
善人だと思われたい。
苦しみはイヤ。
痛いのもイヤ。 

そう叫んでいるように見えました。

そもそも、生きていくということは、他生命を殺しているからであり、善人などこの世には存在しません。

あなたも殺戮者です。

自分を疑う人を、ニンゲンは信用しません。

だから愛されません。

どんなに怖がってもあなたは死にます。あなたの大切な人も必ず死にます。

ケガをすれば痛いし、人に殺されたりウイルスに殺されたり、自然災害に殺されたり、車に殺されたりするでしょう。

生きるということに、傷みはつきもので悲しみもつきものなのです。

でもできるだけその恐怖や苦痛を軽減するのが、多分群れるということで、助け合うことだったのかもしれません。

文明は進化して(退化してるのかも?)たくさん勉強とやらをして、ニンゲンたちは頭を使って考えられるようになりました。

膨大なデータを集めてくれた一部の研究者を信用するならば、私達の身体は炭素や燐などで出来ていて、死ねばその元素がバラバラになるだけです。

輪廻転生などないでしょう。

そのバラバラになった元素でまた、別の生き物が産まれるだけでしょう。

だからやはり、この命はたった一度の奇跡的な存在なのです。

理想があるなら理想どおり生きればよいと思うのです。

綺麗事という嘘の話を作るために、わざわざ他生命を殺したエネルギーを使いたくはありません。

人々は同じ映画に感動し、アスリートの優勝を願います。

理想を他者に責任転嫁するのはやめましょう。

殆どの人が幸福だと思える世界がとても近しいのなら、個々が理想どおりに生きれば、世界はきっと瞬時に平和になります。

どうかちょうど良いバランスで、地球が美しく存続できますように…

 

 

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