自分らしく生きる、という言葉はとても簡単で、とても美しく聞こえる。
セルフコントロールが出来ない大人にとって、自分らしく生きることは重大なテーマであると思われる。
けれどその障壁になるのが、周囲の目、つまり世間体とか同調圧力とか、善人仮面を被ることとか……
無意味な『嘘』である。
なぜ無意味なのかというと、本心は常に心の中で囁かれていて、それとは異なる行動や言動をとるとき、明確に『嘘』だという認識が自分の中に積みあがっていくはずなのだ。
そして不思議なことにその『嘘』は毒のようなものとなり、自分の体を蝕んでいく。
それは不幸の始まりであり、結果その人と関わる人をも不幸に巻き込んでいくことになってしまう。
受け手には『善い嘘』も、ついた方に何かしら犠牲が伴っているはずで、人のために視える嘘ですら、続ければ続けるほどに本人は幸福とは縁遠くなっていくだろう。
根底にあるのが狭い世界で決めつけたり思い込んでいる『善悪』や『優劣』。
最低限の倫理観は養って然るべしだけれども、無意味な嘘で周囲を不幸にするなら、なおさらその人の持つ孤独の恐怖は現実化するのではないだろうか。
自分が自分の道を歩かないから、他者を嫉んだり恨んだりという醜い心が湧き上がる。自分の道を懸命に歩く人には、嫉み嫉みに使う時間などない。
現代多様性を認めようという『言葉』はもてはやされてはいるけれど、大多数は自分の本当の願いさえ諦めている。
明日死ぬかもしれないのに?
自分が幸福でないと、関与する人も幸福になれない。
『嘘』で造りあげられた幸せごっこは砂上の楼閣。
人生に哀しみと傷みは避けて通れないものだけど、今日も喰らった命に恥じないように、せめて自分の道くらいは歩いて行きたい。
たとえ、それが孤独の道であっても、他生物を殺して喰らって生きる責任はそこに在るように思う。
そして真の多様性を認める社会を創るのは、誰かではなく自分なのだと気づくのである。
誰かが言ったように、徹底的な利己主義は圧倒的な利他主義になるのかもしれない。
万物に幸あれ
0 comments