クリエイターの意識

世の中には素晴らしい作品を産み出す人がいる。

僅か150年前の幕末期、参勤交代していた人々がまさか新幹線であっという間に東京に行くことができるなど、決して考えはしなかったろう。

 

ニンゲンの思考に限界がないと思うのは、そういう身近な技術による恩恵、例えば、電気ガスなどもそうだけど、現代からたった150年遡って考えれば容易に想像がつく。

飛行機も同じく。

命の危険を冒し、何ヶ月も船旅をして他国に辿り着いていた人々は一日でアフリカまで行けるなど思いもよらなかったろう。

だからインターネットもしかり、AIもしかり。

 

最終的に人々が受ける恩恵は、発端となったクリエイターの意識の思考の現実化であると思う。

 

どこにも無い物を産み出す人は、多分、金のために創るのではない。

なにか大義のような、個人から湧き出る物凄いパワーのような、明確な目的があって始めるはずなのだ。

創造者になれない人は往々にして、その作品がある程度目に見える形になってから利用しようとする。

だけど、不思議なことにその利用という名の搾取に『作品』はなびかないように思えるのは私だけだろうか。

既にそのクリエイターが存在しなくなっていたとしても、作品の中に入れ込まれたクリエイターの意識は生きていて、どう捻じ曲げようとしても当初のクリエイターの想いどおりに動くように視える。

つまり、これからAIがどうなるかとかニンゲンに影響を与えるかは、多分当初にそれを創った個人の目的が現実化するのではないかと思う。

他の人間には決してわからない。

なので、それに一致しない外野の想いは実らないかもしれない。

未来になってその結果を見て、ああこういう目的だったんだねって視えてくるものというか……。

 

そう考えるとクリエイターだけでなく、強い目的をもって仕事をしている人の意識は、その作品(仕事)がどのような結果をもたらすかを左右するかもしれず、責任重大である。

単なる作業として言われたままに動くだけの人と、真のクリエイターとは世界に対しての影響も雲泥の差になりそうだ。

意識って面白い。

 

だからモノを買う時はどのようなクリエイターが創ったのか、吟味して選ばなくてはいけない。

オーラが見えるという共感覚の持ち主は、物が光って見えたり真っ黒に見えたりするらしい。

ブランド名や流行ではなく、『誰』が『何のため』に創ったか、そこをしっかり感じて自分の人生に取り込んでいきたい。

 

世界のクリエイターの皆さん、本当にありがとう。

 

 

 

 

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