一般的に「こういったもののやり方はこうだ」という王道を人間は語る。
でも成功パターンは実際は一つではなく、物事の視野は平面の15度ではない。
360度、無限大に広がっている。
ありきたりのやり方、つまり二番煎じは最も怠惰で簡単な方法だ。
私が人生で行ってきたことは一般的には仕事と呼ばれるものになっただろうし、周囲を黙らせるにはそっちの手法を取る方が楽だったかもしれない。
でも、あえて無償でできることを全力でやってきたからこそ、そこにはメリットデメリットのない確かな答えがあったともいえる。
お金を払ったからこうなるだろうという先入観がまず対象者にない。
損が無いように取ってやろうという潜在意識も働かない。
こちらも対象者をそのままの形で周囲の関係性や背景まで視ることが出来る。
中には困った時の神頼み的に私を呼びつけて無理難題、会ったこともない末期がんの親の処置を頼む非常識な人もいたが、
私が作った饂飩一杯にも黙ってお金を置いていく大学生もいた。
背景にある親の育て方や環境でパターン化されていることが手に取るようにわかった。
小学生でも大学生でも変わらない。
育児相談も離婚相談もたくさん聞いてきた。
よくママ友たちは独りで午後にやってきた。
大抵は愚痴を言うだけで解決にはならない。
ところが、大きな変化を起こした人もいる。
過去、国立大など縁のなかったご家庭。
ご両親も中卒か高卒。
息子さんが幼稚園の頃、親の教育方針でチック症になっていた。
でも素直でとてもいい子だった。
そのママ友に私は言ったそうだ。(覚えてない)
「子供をコントロールするのではなく信じてあげて。
基本的生活習慣と食事さえ整えておけばいい。
それで我が子が勉強できない時は遺伝だと思って潔く諦めることよ」
と。つまり教育虐待をするなと言う事。
十数年後、スーパーでそのママ友と再会した。
学区が異なるため娘が幼稚園を卒園して一度も会ったことがなかった。
「やっと会えた。お礼を言いたかった」
と言う。はて?
「うちの子、阪大に現役合格したのよ。身内の誰も大学なんて行ったことないのに。
あの時、言ってくれたこと、ずっと守ったの。そうしたら阪大に行けたの!!」
確かに勉強が苦手そうなお母さんだった。
私の方はいつも誰にでも同じことを話すので全く覚えていなかった。
何はともあれチックも治り、幸せになっていて良かった。
別のある時、酷いアトピーのお母さんから相談があった。
三男は中学で不登校、長男は成人で指の間から液体が出るほどにアトピーが酷く、見ていてイライラするから毎日怒ってしまうと。
理由を聞くとご本人の親子問題が絡んでいる。
でも優しい旦那さんのおかげでかなり癒されているよう。
そこは触れずに息子さんたちに対してだけ、アドバイスをした。
「本当はこう考えているでしょ?それを素直にお子さんたちに伝えてみては?」
満面の笑みで帰って行った。
その人と二週間後に道端で会った。
「電話しようと思ってたの。相談に乗ってくれた翌日からね、三男が学校に通い始めてね。」
「え?そんなすぐに?!」
「で、アトピーの長男がこういったのよ『お母さん、俺、アトピーやめるわ』って。そしたらいきなり治ったの。もう全然でないの」
「え~~~~っ??」
私の方が倒れそうになった。
実は私にもなんでかわからない。
90分も話したので、どんな話をしたかあまり覚えていない。
相手がメモを取っていたことは覚えているが、ただ
「じゃああなたはこうなんじゃない?」
「本当はこう思ってたのね」
と潜在的なご本人の気持ちを確認していったくらいだったと思う。
仕事にするため資格を取得すると、マニュアルがある。
ある小学校の先生から、
「カウンセラーが使えないので、貴方になんとか学校に入ってほしい」
と言われたことがある。
そもそも学校に配属されるためにはその資格取得が必須で、結局『王道』のやり方を取らないとだれも責任をとってくれない。
でも無償の愛情ならだれも責任を問わない。
相手も、どう考えるかは自由で強制もされない。
私に相談するもしないも本人が勝手に決めてやってくる。
なのでこちらもニーズにこたえるか否かのジャッジが楽で、個別対応がしやすい。
相手を選ぶことも私の自由。
商売ではないので、人と人として個人的な信頼関係も築きやすい。
他にも人生が変わったという人がいる。
虐待されていた大学生。
親は受験に失敗した彼に食事を与えなくなった。
「じゃあうちに食べに来なよ。」
未だ雇用されて働いていた頃。
当時の夫に金銭的負担はかけられない。
彼の食費は私が全額出していた。
彼は当初、毎日母親の悪口を言っていた。
だけど、その人の育ってきた環境や離婚の経緯を訊くと、とても傷ついている人なのだとわかった。
勿論虐待の正当化にはならないが、大人になっても人間の性質は幼少期とさほど変わりない事も確かだ。
弱いニンゲンは生涯弱いし、強い人は生まれた時から強かったりする。
親になったからいきなり強くなったり賢くなったりはしない。
その視点を先ず持つことと、つらくてつらくて当たる人が君しかいなかったのかもしれないということ。
親だから必ず子を愛しているかと言うとそうではないニンゲンだっているという事実。
日本人の創った母親神話を信じるのではなく、個人として親を視ることも大事よねっていうようなことを話した気がする。
その子とは10年以上の付き合いとなる。
ずっと後になって、彼から言われたこと。
誰に相談しても私のような意見を言う人はいなかったとか。
「貴女と会えたから、お母さんを嫌いにならずに済んだ。感謝してる。」
現在はかなり落ち着いた親子関係になっているようだ。
こういった無償の働きは時に知人友人関係でも親類縁者とでも動物とでも起こり得ることで、私自身が学んだことの方が大きいのかもしれない。
過去出会った人すべてと万物が私の師匠と言うのはそういうことで、形を決めずに時には十年単位で真摯に対峙できるからこそ、Aの考え方はある結果を産むであるとか、責任転嫁する人の言葉が皆同じだったりすることとか、劣等感に苛まれる人こそ誰よりも人間を優劣で測っているとか、皆パターン化されているという動きが視えてきたのである。
ジェーン・グドールが王道ではないチンパンジーの研究を始めたからこそ、王道の研究者にはできなかった発見があり、第一人者になれたのではないか。
真実の追求を目標に掲げる私は、用意された箱の中で泳ぐことだけが真実の追求になるとも思えなかった。
常に箱の外に真実はあるから、無限大のそれを探すには多方面からの視点が必要。
逆に限られた箱の中の自由に出来ないその環境は、息子の事故の際のあの指導医のように
「僕が出来ないということは世界のどこに行っても出来ない」
と言う思い込みと断言をさせてしまうのだと思う。
全てはニンゲンだけが創っているお話の一環であり、どれもその域を越えることはできない。
それを信じる人々には、信じなければならない潜在的理由が必ずある。
先のサピエンスからのクリエイティビティに長けた分化は、現代求められている進化であるような気がしてならない。
先住民に還る単純な原点回帰は、有害物質をまき散らしている現代には向かない。
単に昔のような自給自足をしても、大きな落とし穴が待っていることに気づけなければ崖に向かって歩くだけ。
創ったものを原子に戻さない限りゴミは不可逆的に増え続ける。
新しいゴミ(製品)を生産するのではなく、分解するためのプラントを創り、次々に人間の創った有害物質を分解し、最後にはプラントも分解するのがハッピーかもしれない。天才クリエイターには他生物の為に是非ともそういった物を創造してもらいたい。
加えて何処にも何も自分のモノなんてないのに、自分のモノだ!!って執着するのはやめたほうが良さそうだ。
持っていてもいつでも手放す軽さが重要。
執着は一つ一つ重りとなって脚に繋がり、貴方を真っ暗な海の底に沈めてゆく。
何も持たず海面に浮いていれば太陽をいっぱいに浴びて深呼吸が出来る。
とにかく面白い人がいなくて面白くない。
光の中にいるクリエイターと手を組みたい。
今日も皆さんありがとう
0 comments