愛について 

恋愛であっても、家族愛であっても、友情であっても、または、万物に対してであっても、愛の基本は同じです。

対象が友達の場合は友情、家族の場合は家族愛、ニンゲン以外に対しては動物愛、地球や宇宙に対しては万物、それ以外のどれにも当てはまらない他人に対しては恋愛となるのではないかと思います。

愛が、成熟していくことを皆さんはご存知でしょうか?

 

愛の定義

塾年夫婦などであれば、成熟した恋愛や家族愛を培っておられるかもしれません。

 

でも、一緒にいるだけでは愛は成熟しません。

 

愛にも段階があって、私は成熟したものを愛と呼び、そうでないものは執着や依存と呼んでいます。

 

つまり、愛と呼ぶには、それをじっくりと育てていく時間が必要となるのです。

 

その間、疑心暗鬼になり、苦しみや涙を多く伴う人もいるでしょう。

 

もしも途中で投げ出せばそこで終わります。誰かを愛するということやニンゲン以外の存在を愛するということは、そんなに簡単にできるものではないのかもしれません。

 

愛の始まり

恋愛に例えましょう。

 

 

 

誰しもご存知のように、始まりというのは、空が青く見え、花や樹木の美しさに目を奪われ、瞳がうるんで、なんだかワクワクする、次はいつ会えるかということばかり考える……

 

こんな風に、ある特定の人が、特別な存在に見えてくるものです。

 

このときは、一方的に相手を好きという感情です。

 

そのうち、こちらに気づいてほしい、振り向いてほしい、愛してほしいと、利己的な感情を募らせていきます。

 

ここで片想いに終わる人と、相思相愛になる人とに分かれます。

 

相思相愛になった場合を考えてみましょう。

 

自分を好きになってくれたことに、お互い舞い上がります。三ヶ月から半年くらいは相手の欠点も見えず、大抵はうまく行きます。

 

そしていよいよ相手の欠点が見え始めてきます。

 

ここでまた、相手との違いを認められる人と、そうでない人に分かれます。

 

認められない人は、別れるか、相手をコントロールしようとします。つまり、自分の思い通りにしたくなるのです。それは相手の人生を尊重していないことになります。これは愛ではなく依存や執着というものだと私は定義しています。

 

コントロールされることを喜ぶ相手なら、共依存といって、互いに依存関係を続けます。

 

そうでない自立した精神を持つ人なら、支配されることに違和感を覚えます。

 

ここでまた離れる人と、さらに関係を構築する人に分かれます。

 

互いに違いを認め合うため、意見交換を続けます。時には喧嘩になることもあるでしょうし、相手を好きだと思えなくなることもあるでしょう。

 

しかし、どちらか片方でも根気強く相手に心から伝えることを惜しまなければ、それを乗り越えられる場合もあります。

 

人の感情には浮き沈みがあり、素直に聴けない時もあれば、一人になりたいときもあります。もしも、あなたが相手を愛しているのなら、それを待ってあげることです。

 

成熟してゆく愛

どうしても違いを認められない人もいるでしょう。いつまでも支配したいと思うのは失うことへの恐怖からかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

考えてみてください。あなたがあなたの人生を生きているように、相手にも相手の人生を生きる権利はあります。あなたがそれを支配しようとすることに抵抗するのは、それが愛ではないと潜在的に相手が感じているからかもしれません。

 

どうしても違いを認められない場合、相手の幸せを願って、別の道を行くことは愛の一つです。好きなままでいいと思います。愛は簡単に消えてしまうものではありませんしね。

 

また、共に生きることだけが愛ではないでしょう。

 

愛している人が幸せになる。自分もまた別の道を切り拓いていく。互いの最善を模索することも愛なのではないかと思います。

 

もしも、少しずつお互いの違いを認め合い、尊重し合うことができて、時に口論になったとしても、それでも共に生きたいと考えられたなら、これを愛し合うと私は定義したいのです。

 

ここまでどのくらいの年月を要するのか、人によって様々だと思います。先天的に人間は愛を知っているのではないかと思います。でも大抵は、忘れてしまっていて、学び直さなければいけないでしょう。

 

セックスしたから愛し合うわけではないのです。セックスしないから愛し合っていないわけでもありません。

 

「好き」を成熟させて「愛し合う」ようになるには、悲しみも傷みも伴うものなのです。

 

けれど諦めなければ、愛し合うことはできます。誰とでも。

 

利己的で幼稚な「好き」から、成熟した「愛」に発展したとき、初めて、心の底から幸せを感じることが出来るのだと思います。

 

夫とも、やっと成熟した関係に差し掛かってきたと感じています。日々、彼には感謝しています。まだまだ様々なことが私達に起こってくるでしょうが、諦めずにいたいと思っています。

 

また、友人についてもそうです。10年会わなくても15年会わなくても、何も変わらないとよく言われます。変わる必要など無く、友達でも、好きになった人をよほどでない限り嫌いにはなれません。

 

近頃、深く愛されていると感じることが多くなりました。ニンゲンだけでなく、共に生きているハムスターたちにもです。

 

子どもに置き換えて

自分が子どもの頃、何を親に感じていましたか?

 

思春期の頃、何に違和感を覚えていましたか?

 

あなたは自分の子どもを愛せているでしょうか?

 

我が子といえど、別のニンゲン。

 

自分の身体を通ってでてきた、別の存在です。

 

彼らには彼らの今があり、彼らの道があります。

 

自分の寂しさや心の安定をはかるために、執着を愛と呼ばない様にしたいものです。

 

すべての子どもたちの幸せと、人々が互いに助け合える世界になることを願って

 

万物にありがとうを伝えます。

 

 

 

 

 

 

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