命の誕生

今冬はとても寒すぎて、初めて庭のアロエが枯れました。

アロエがあんな風になるなんて余程がんばってくれたんですね。でも残った葉で復活を遂げつつあり生命の強さを見せつけられます。

 

先日は、近所のご夫婦が新しい命の誕生を共有してくれました。病院に入る頃から退院してすぐの記念写真まで送って来てくれて、健康な大きな赤ちゃんに、とても安心しました。

やはり命の誕生は嬉しいものです。

もうあの可愛らしい手も握らせてもらったんですよ(笑)

 

そして、植物の種も一斉に発芽する春がついにやってきました。

畑仕事は、その土地に根付く雑草を食べているわけではないので、私にとっては『園芸』の一種です。

自然農法だの有機だのと言っても、ニンゲンがわざわざ食べたい種を栽培している限り『自然』などありえません。

ですから、春は命の誕生を願ってたくさんの種まきをするシーズンでもあります。

 

うちで暮らす動物たちの糞や野菜くずを使った堆肥作りもなんとかうまくいき、春の畑に順にまいているところです。

作った配合飼料をきちんと分解して、彼らが出した餌とよく似たモノがまた土になり野菜になる循環を目の当たりにできることは、とても面白いものです。

地球から奪ったエネルギーを、また異なる形で地球に還す感覚です。

本来はニンゲンがお節介に園芸をやらなくても、自然に必要な種が必要な土地にいて自然循環がおこるのでしょうが、古代から人工的な破壊を繰り返してきた結果、人工的な循環を面倒でも誰かが起こさなくてはならないといういたちごっこの世界です。

出したエネルギーは自分に還る

安易に破壊したら苦労して戻さなくてはならない、誰かや何かから奪えばまた自分は誰かから搾取される……

どんな事も自然の摂理に則っているように思えてなりません。

誕生する命があれば、サヨナラする命も同じだけあるのかもしれません。種を越えて。

そうなると誕生に歓喜した分だけ、哀しみにくれている生物がいるのでしょうね。

 

視野が狭くなってくると、ついつい目の前のことに苛立ち、立腹し、一番簡単な『争い』という手段に発展してしまいますが、深呼吸をして宇宙から自分の立ち位置を眺めれば、全く見方が変わることもあります。

生まれた時や出会ったときに歓んだ感情はどこかに置き忘れ、とことん利己的になって責任転嫁を繰り返し、自己の頭の悪さを正当化してみても、この世界や現状を創ったのは自分にほかなりません。

時に哀しみと傷みはあっても、出来る限りそれを繰り返さない経験値による賢さは、GAMEのHIT POINTにも似ていて、そのGAMEのストーリーをクリアして天国にいくためには、毎日積み重ねた経験値が絶対的に必要なのかもしれません。

 

アインシュタインの言葉だとも云われる

「過去と同じことをしていながら、異なる未来を望むなど狂気の沙汰」

からは個人の人生だけでなく、仕事や人間関係、動物虐待、環境破壊、外交などにおいても同じことが言えるような気がします。

 

時に愛は憎悪にとって代わり復讐にエネルギーを使いがちですが、もし本当に進化した生物なのであれば、なんとか踏ん張って平和的な問題解決に智慧を働かせたいものです。

そして、人々が持つ強い忍耐力の使い途を各々が熟考して行動する時、その集約したエネルギーが、ビッグバンないしビッグクランチを起こすのかもしれません。

せっかくシステムと技術者各位のおかげで様々な世界を視て生きてこれたのだから、個人的には最終的な大爆発を見てみたい気もしないではありません(笑)

 

植物の誕生を願いながら一つ一つ種を蒔き、自身はビッグクランチを起こさぬように限りなく執着を棄てていきたいと思います。

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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