複雑怪奇な人間社会に生きていると、どうしてもそれが世界のすべての様な錯覚を起こす。
社内や学内に毎日通うと、それだけが世界全てのように思ってしまう。
人間は案外視野の狭い生き物で、うちの中で生きている虫や生き物たちとあまり変わらないような気がする。
彼らは人工的な箱の中に住み、ニンゲンが用意した餌を食べ、虫においてはニンゲンの視覚をできる限り避けて何かをかすめ取ろうと必死で生きている。
でも外に出れば空は仰げ、風に吹かれ、何処にでも好きな場所に行くことができる。
わざわざ此処で生きる意味などないけど、そんなこと疑いもせず、彼らにとっての毎日の生活はルーティンワークと化している。
賢いニンゲンは知っている。
可能性は無限にあるという事を。
その中で精査した最大限の妥協策が目の前にいる共生者と場所なのかもしれないけれど。
でも生命力の弱い種は、そこから出れば自分が生きていけないと知っているのかもしれない。
逆に強い種は、鳥のように世界中を飛び回るのかもしれない。
好奇心だけでは答えにならないことがある。
この窮屈な狭い場所が安全な城に視える人と、牢獄に視える人とがいる。
決して交わることはないけれど、互いに利用し合うことを平和とは呼べる。
縄張り争いはどのような生物にもみられそうだけど、お節介はニンゲン特有のものなのかも。
他生物は弱肉強食。バランスは美しい。
ただし人間が『駆除』したり『生産』したり『玩具』に使ったりしなければ、の話。
ニンゲンはお節介極まりない。
他生物のように空と海と土が『誰』のものでもなくなったら、困るニンゲンがいるのだろう。
いったい、何に困るのだろう????
何にフォーカスするかで世界は変わる。
自分以外の生き物にお節介をしない様、世界は広く、人生は小さく生きるのが最大の愛かもしれない。
風のように通り過ぎて消えて逝く命なら、なお美しい。
万物に愛を
今日も皆さんありがとう
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