のぞみで慌ただしく東京まで行って帰ってきたりすると、わずか数百年前は参勤交代で江戸まで何日もかけて行ってたのに有難いなあって思わずにはいられない。
あの頃から考えると新幹線や飛行機で長距離移動するなど、今でも十分知能爆発だと思う。
でもこの知能爆発は人間の事ではない。
人間が創ったAIのことだ。
いま議論されているArtificial general intelligenceについては特に興味深い。
果たしてここまでAIを導いてきた人々が、それを禁じて1984で留まることなんてあり得るだろうか?
Max Erik Tegmarkの本をかなり前に購入したのだけど、毎月数冊ずつ購入する本を読む時間が家では全くなくて(長距離電車に乗る時しか読書の時間が取れない)やっと順番が来て、のぞみの車内で読破できたというわけ。なので、ワクワクしている。
順番とは、父の様子を見に行くときなどしか電車に乗らないため、その数時間で読破できるレベルの本から先に手を付けることにしているのと、緊急に欲しい情報がある本も先に回すので、分厚いこの本が後回しになっていたというようなことである。
以前はロボットの話やAIの話には興味がなかったのだけど、確か研究会のテーマがAIで、出席するなら前もってある程度勉強しておこうとなんとなく購入した本だった。結局私的な事情で出席できないことになり順番が後になった(笑)
けれども、ちょうどCHATGPTなどで世間が騒いでいる良いタイミングで読めたと思う。天才的な人々が未来を真剣に考えてくれていることに感謝だし、そういう人々がこんなにいるのだと知ることで楽観的になれることもある。そういう中で共に議論できない自分の無知さを呪ったりもするけれど(笑)
そのくらい興味深い一冊だった。
また、著者の「決してだれも望まないことをするニンゲンも多くいるので道を間違う可能性がある」という考え方にも納得だ。
確かに、確かに。
田舎に移住し、呑み会やらセミナーやらで多数の人と会わなくなり、波長の合う人と出会うことも少なくなったのだけど、何となく出会った本はほぼヒット!
著者に一目ぼれすることが多い(笑)
そんなことを考えながら、窓の外の風景を見ていてふと思った。
何でも手に入ると、余程怠惰な人間以外は生きることが面白くなくて逆に不幸なんじゃないかっって。
そして幼児期に観たあのゴンのように必死で生きているから、人間(=生物)は輝くんじゃないかって。
AIの恩恵はとても有難いけど、それでもやはり何かに全力を注いで懸命に生きて逝かなければ幸福にはならないのかも。
原子を好きに組み替えてなんでも生み出すなんて夢みたいだけど、手に入らないからこそ幸せってこともあるんじゃないだろうか。
万物に幸あれ
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