変化と自覚

無理矢理自分の思考に言い聞かせ「誰かが書いたお話」である本の通りに考えようとしたり、潜在意識に「誰かの思考」を刷り込むこと自体が不自然にしかみえません。

その根底には何らかの目的を持った「欲」があります。

雨風しのげて、食べるものにも事欠かない、使わない預貯金まであるとなると、それ以上まだ何かを欲することは自分を苦しめる要因の一つになると思われます。

その精子と卵子でしかできなかった自分をまず一旦受容することが第一歩。

他の精子と卵子を羨んでも絶対にそれにはなりません。

ハムスターが蛙になりたくてもならないように、自分は決して誰かにはなり得ません。

苦難の人生を歩み、心から自分を変えたいと思うなら、何世代もあとの子孫に向けて今の自分を変えましょう。

そのために努力できることといえば、生きる土地を変え、空気や水、気温の変化などで自分や子孫の身体能力を変化させることや、食べるものから細胞ができているのだと考えて、食物の嗜好を劇的に変えていくこと、腸内細菌を変化せること、今までとは全く異なるニンゲンたちと生活することによって、新しい皮膚常在菌などを取り込むことや、生きるために自然発生的に更新させる思考や、強い筋肉の使い方を長期にわたって定着させるなどという方法がかたいでしょう。

つまり見たことのない土地への移民などが手っ取り早いですね。

昨日と同じものを食べ、同じ水を飲んで空気を吸い、傍に居るニンゲンに執着する者が、自分を大きく変化させようと思うのは矛盾でしかありません。

現在は過去の選択の結果なので、自分を変えたい人は当然選択を覆す必要があります。

食べているものが変化しなければ脳の神経伝達物質の材料も変化しないでしょう。

変化する気分をなんとなく味わいたいだけなら、起床時間や睡眠時間を変えてみたり、毎日摂取するドリンクを変えてみたり、ときに薬剤を身体にいれてみたりするくらいでよいのではないかと思います。

私たちは過去に、ヒトが分かれてネアンデルタールやホモエレクトス、ホモサピエンスになったことをおおよそ信じています。(本当かどうかは知りませんが)

現代はホモサピエンスから次の種にすでに分かれているかもしれず、隣の人と自分が同じ種とは限りません。

昨日までサルで、今日からヒトになるわけはないので、生きている限り刻一刻と変化し進化し絶滅していくものだと考えるからです。

何も変える気がないなら無駄なことにエネルギーを浪費せず、今の自分の環境に感謝し、欲を出さないことです。

ましてや誰かを「変えたい」とか「コントロールしたい」などと考えないことです。

その相手が持っていないものは、その人が今まで生きてくる過程で必要なかったということです。

傲慢にもおしつけることを「教育」や「恋愛」などと宣うことはやめてほしいものです。

この世の中は弱肉強食です。

弱いものはいくら資産家でも病気になって早く死にますし、強いものはたとえ浮浪者でも子孫を遺したり長生きします。

形にばかり拘って、本質が視えずに他者の人生を牛耳ろうとする人とは、距離を置くことが賢明です。

フィジーで足もとを行ったり来たりするカナヘビの賢さや、人間が来ると隠れるヤドカリ、天井に這っているヤモリ、食べ物のあるとろに現れるゴキブリを観察していました。無駄に戦わないし、皆共存しています。

ゴキブリや蚊に倣って、私たち人間も自分の生き方くらい自分で考えられるようにしたいものですね。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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