必要なものはそこに在って 必要なければ淘汰される
昨日、シャイニーたちと話しながら、彼らの掃除を念入りにしていると、ふと言葉が降りてきた。
わかってはいるけど、時に私情が入りすぎて嫌悪が強くなることがある。
そういう不必要なモノを、何かが正してくれる瞬間が言葉の降臨。
地球が産み出したものを自分の好き嫌いで排除しようとするニンゲンは多い。
けれど歴史を振り返ってみても、それで成功したためしがないから、世界は平和でもないし、ニンゲンの悪業は留まることを知らないわけで。
嫌悪するものを目の前から消したい気持ちはあるけれど、哀しみも傷みも含めて地球全部を受け容れないと、そういう種と同化してしまうことになる。
過去と同じことをしておきながら 異なる未来を望むなど狂気の沙汰
という誰かの言葉がある。
まさにそれ。
決してそれに陥ってはいけない。
自分で本に書いておきながら、忘れそうになってしまう。
生命は刻々と変化していて、もうあの頃の自分はどこにもいない。
強い意思がないと目的や目標は簡単に忘れ去られる。
決めていることが多いだけに、日々見直す作業も大切。
正しい間違いのジャッジは出来ない。
でも好き嫌いは明確にある。
だけど目の前の嫌いなモノと、愛している魂のカオスを許していかなくてはいけないのだろう。
世界は歪であるから。
今日も皆さんありがとう
0 comments