想いを受け取る

誰かの想いをなるべく無駄にしないように生きること。

だからと言って自分軸を捨ててまで命を他者にあけ渡すという事ではないけれど。

人材育成やスピリチュアル系などでは、自分軸と他人軸という言葉をよく使う。

自分がぶれない人、つまり自分軸の人は、実は自分だけ視ているのではなく、常に全体の一部としての自分を把握している。

他人軸のニンゲン、つまり周囲に流される人は、逆に自分しか視ていない。

世界が変遷していても気づかず、ふと顔を挙げた瞬間に全体とずれている自分に焦って、ただただ他人に合わせ生きることが安全だと勘違いしているように視える。

自分しか視ていないゆえに、他者の意見は普段は耳に入らず、何かトラブルが起こった時などは、目の前の決して報復しないと踏んでいる善人に故意に責任転嫁し、自分だけが助かろうとする。

だが、それが最も助からない道だと気づくものはあまりいない。

だけど、もしも自分の両親がそうして生きている姿を見て人間になったとしたなら、それがニンゲンの生き方なのだと思い込むのかもしれない。

その精子と卵子でしか生まれなかった自分は必然で、出来が善くても悪くても認めざるを得ないけれど、今自分が努力したことは無駄にはならないと信じたい。

それは次代、次々代と良い方向に継承されていくかもしれないから。

自分の中にもそのような遠い祖先の想いが記憶されている可能性があり、それをどう受け取り昇華させるかで世界は変わる。

誰かの想いを受け取るとは、目の前の人の想いだけでなく、悠久の時を経て、祖先や社会や地球の為に力を尽くした人々、また人間に閉じ込められて殺されていった他生物たち、搾取された途上国の人々の想いなど、自分の周りに広がっている無限大の存在の想いのようなもの。

真の先祖供養とは、仏壇の前で手を合わせることではなく、負の連鎖をとめること。

全体の中の自分を視るように努めれば、少しは目に視えない魂の想いを受け取れるのではないかと思う。

自分が他者にどう見られるかよりも、自分が地球の一部としてどう生きるか。

所詮自分の存在など、宇宙から見れば埃のようなもの。

誰も見ていないし気にしてもいない。

だけどせめて宇宙の癌細胞にだけはならないよう、不器用でも役割を全うして原子に戻りたいと思う。

今日も皆さんありがとう

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