循環と搾取

世界はすべて火曜サスペンス劇場である。

愛を惜しみなく与え続けると、大抵それが当たり前になり、人々はまるで自分の価値が高いような錯覚に陥り、愛を奪い続ける傲慢で邪悪な生き物と化す。

地球が万物を産んだとき、多分それぞれが生きて逝けるように完璧なシステムを創ってあったはずで、皆自立して生きて逝けるようにできているだろう。

だから誰かから奪う行為は不自然なのかもしれない。

 

また何かが増えすぎたら減るようになり、減りすぎたら増えるように地球はバランスを保っている。

環境が変化すれば、適応できない種が一掃される代わりに適応できる種がまた現れるだろう。

どんな生物にだって愛はあるように見えるが、一方的に奪うことで喜ぶ生きものはある種の人間だけかもしれない。

 

愛は泉のように湧いて出てくるものなので、出し惜しみする必要もないし、交換チケットで換算できるものでもない。

愛のない人は、奪うことで空っぽの魂を満たそうとするが、愛は奪うものではないと気づかない人々は、空に上がれない重い塊になって永遠に山の麓に溜るのだ。

 

愛は循環させるものである。

 

私財をなげうってでも世界のために動く人もいれば、無償で奪うことに喜びを感じるものもいる。

愛の循環ができる生き物同士の世界では、人間だけに限った交換券も司法も、一切を必要としない。

何をするかより誰と生きるか。

その後の世界で貴方は誰と何をしているのか。

思考は現実化する。

全身全霊で今日死んでもいいように生きよう。

後悔なきように愛しぬこう。

 

万物に幸あれ

 

 

 

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