勇気

自ら考えて選択して生きるすべての人はクリエイターだと思います。

生きてきた道程には、それぞれのストーリーがあります。

単調に作業をこなしているように見えても、皆、何かを目指していたり自分の大切にする価値観を持っていたりします。

その人の代わりはいくらでもいるように見えたとしても、ストーリーを知れば、その人生が深みを増して見えたり、必要性を見い出せたりするものです。そして周囲との関係も変化します。

出会いは幸せのためであるのなら、人に勝つことよりも、互いに経験したことを共有し、各々にできる事で貢献することは幸せですね。繋がりを強化すれば、社会のためにならない利己的な存在は自然淘汰されていくでしょう。今そんな風に人々の感情の流れが変化しているように思うのです。

日本人はおし黙ることを美徳だと勘違いしていますが、綺麗事で関与し合う関係には相手に対する敬意よりも保身が強く表れます。それでは本当の絆は生まれないでしょう。本来美徳とは、違いを認め合うことではないでしょうか。

もしかしたら、殆どの人はモラルや謙虚さを間違った概念で作り上げてしまったのかもしれません。満足そうな顔をしている人が、圧倒的に少ないように感じるのです。まずは本音で語り合うことで、その気付きは得られるような気がします。

 

ある人が、仰っていました。

綺麗事でその場を凌ぐことをモラルだと考える親に育てられ、それを当たり前だと思ってきた自分は、真っ直ぐに人と対峙する正直な人に出会ったとき、とても戸惑ったのだと。けれども、自分も少しずつ正直に生きる努力をした結果、その方がずっと楽で幸せで、人にも優しくなれたのだと。

その人は現在、ニーズに応えた形で、組織の長になられています。

 

どんな人もきっと懸命に生きているのに、何かが怖くて、逃げ続けて、気づけば何十年も経っていたりします。

自分に嘘をついて生きているほど不幸なことはありません。そのような人とは誰も本気で関わりたくないのです。潜在的にそれを人々は察知してしまうのでしょう。

本来、地球が生かしてあるすべての存在は平等で、誰の支配下に置かれることもなく、自己の命の使い方は自己で選択するべきものです。

 

生物は平等である

 

本音でぶつかりあった人としか真にに愛し合うことはできません。

この愛とは、異性間交友のことではありません。親子も知人も師弟も、上司と部下も、今日すれ違う見知らぬ人とでも繋がることができるものです。

本来の自分をさらけ出したとき、それでも受容し付き合える関係が本物でしょう。それで相手が去るなら、はじめから自分とは違う世界観の人だったというだけのことです。

数ではないはずです。

どんな人もそのような関係を構築することは可能だと思います。

それぞれが自分らしく生きれば人を羨むことはなくなり、妬む気持ちもおさまり、争いが減るのではないでしょうか。

周囲の人間関係が変化していくことさえも、その時点での自分と最善のマッチングだと納得できるのは、虚構の世界に生きていないからです。

その中で構築されていく組織は、それが家族であっても友人であっても、仕事仲間であっても、とてもとても強い繋がりなのだと思います。

 

善悪も優劣も正誤も決めつけず正直になる…

そこに必要なのは多分

勇気だけなのです。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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