とっても簡単なことなんですが、考えてみてほしいのです。
これは今すぐに、あなたにも、幼稚園児にでもできる習慣です。
こんなこと?って思わないで、こういうことだからこそ、考えてみてください。
果たしてそれを他者はどう感じているのか?
わが子はどう感じているのか?
ずばり挨拶です。
知らない人と道ですれ違うときあなたはどうしてますか?
信号のない交差点で車同士で鉢合わせしたときどうしてますか?
繁華街や歩行者の多い道で自転車に乗っている時、あなたはどうしていますか?
道を譲ってもらった時、あなたはどうしていますか?
同じマンションの赤ちゃんを抱いたお祖母ちゃん(60前後)とお母さん(30代前半)は何度か会って挨拶しても、なぜか固く口をつぐんでいます。エレベーター内で無視されると非常に気まずいですね(笑)
あの赤ちゃん。どんな人間になるんだろう?とすこし心配になります。
以前、会社勤めをしていたとき、エレベーターで毎朝会う20代の女性がいました。
二人しか乗っていないし、うちの会社より上の階に勤めている彼女。三年間挨拶し続けて、向こうはずっと無視していたんです。
でも挨拶するのをやめませんでした。やっと頭をペコッと下げたのは会社の移転直前。
挨拶するとなにか怖いことでもあるのでしょうか?
そしてどんな家庭を築き、子どもはその親のどんな背中をみて生き方を覚えるのだろうって。
メリットのある人や場所でだけ、笑顔で綺麗事をいうのがニンゲンの生き方なのだと覚えてしまうでしょう。
子どもは突然モンスターにはならないのです。
また、繁華街の大通りを「絶対に右にも左にもよけないぞ!」って態度で直進してくる人がいます。
自転車では、スピードを出すかなり利己的な走行の人も見られます。
道を譲っても殆どの人は、ありがとうさえ言いません。
なんで平気であんな顔して通り過ぎることができるのでしょうか?
生き方は歩き方に表れています
ビジネスとなると、とたんにニコニコ笑顔で、過剰なくらいサービスする日本。気持ち悪くないですか?
Fijiで もそうですが、Tanzania では、知らない人とすれ違っても挨拶します。
拙いスワヒリ語で、自分は日本人だとか、来たのは何回目だとか、今日はどこにいくんだとか、ありがとうや、また会おうなど、長々と挨拶します。面倒に感じるかもしれませんが、これはコミュニケーションの一種で、人間関係を円満にする賢さですね。
頭の上に重たいものを積んで歩いてる女性とすれ違うときは、お疲れさまというし、子どもたちは目下のものから挨拶をするということを教えられているので私たち外国人にもきちんと挨拶をしてくれます。しない人がいたら、あの人大丈夫?!って白い目でみられます。
急いでいても挨拶の方が大切です。だから少々時間に遅れても誰も文句言いません(笑)
文化の違いはあるけれど、人間としてはまともなので一緒にいると幸せなんですよね。
娘が小さい頃、一人で高速のインターのトイレに行かせると、順番を抜いていくおばさんがいました。
酷いときは何人もに抜かれて、娘が「並んでます!」と大声をあげたら「気づかなかったわ」と皆さん必ず言われます。
一列に並んでいるので見えないわけもないですけれどね。
旅の恥はかきすてなのでしょうか。
誰かが見ていなければ、小さな子どもにさえ優しさを見せることもできないのでしょうか。
もちろん、そうでない人もいます。
道を譲ったときに、普通に「ありがとう」と言ってくれる方と出会ったときは感激するほどです。
人間形成の基本は幼稚園で習うようなところにあります。
どこかで聞いたコピー&ペーストの言葉を使って、それに振り回される人が多いように感じますが、育児も教育も一人の人の人生を左右する「一大事業」そのものです。
誰も見ていないときのその人の状態が真実の姿です。
子は親の鏡とはよくいったものです。
わが子の失敗は自分を省みるいい機会。
親は確かに子どもに教えてもらうことがたくさんあります。
親を見てから結婚しろともよく言いますね。
三度結婚しているので断言しますが、親を見て判断した方がいいです。
遺伝には絶対に勝てません(笑)
家庭を見れば、その家族が何に価値をおいているのか簡単にわかりますからね。
誰も見ていないところで、その人が何をしているか。
挨拶や気づかいは大切です。
誰が見ていても見ていなくてもニンゲンに対して差別しないような人でないと、幸せにはなれないのではないかと思います。
人のふり見てわがふりなおせ
爽やかに挨拶しましょう!
今日も皆さんありがとう。