怖れを棄てよう

家族と本当の助け合いが出来れば、子どもは人と助け合うことを学ぶ。

親が綺麗事や恐怖で生きていると、子どもは何も信じられなくなる。

そして

助けを誰にも求められなくなる。その悪循環は何世代にもわたる。

殆どは思い込みによるもので、不安と恐怖はこれをはずせば取り除かれることが多い。

動けない人の原因は大抵恐怖だし、依存者が依存する理由も恐怖だし、なんたってこの恐怖というものをもつ人が多いのは多分誰しも気づいている。

それを消し去るために膨大なエネルギーを社会ごと使っているようにみえる。

老化が怖い人は美容や整形に走る。病気が怖い人も「なんとか食」などに走る。

お金がなくなる恐怖がある人は、既にあるのにまだお金お金と走り回る。

子どもの力を信じられずに怖い人も教育にお金をかけるために身を粉にして働く。

みんなと同じじゃないと怖い人は、いつも他人の動向に合わせて人生を決める。

独りになるのが怖い人は善人を演じる。

一人一人がそこを冷静にみて、その洗脳をとけば、必要のないものでこの国は溢れかえるかもしれない。

一人一人がまともに考えられるようになれば、相互扶助は可能になり、恐怖による疑心暗鬼は減り争いも減る。損得もある意味恐怖からくるものゆえ。

勉強ができない人は、他に得意なことがある。

子どもには子どもの、若者には若者の、老人には老人の役割がある。

才能は全員が分けあえばいいのである。

隣人を信じて助け合うことが出来れば世界は平和になる。

突き詰めたら、命あるものは必ず死を迎えるという単純なことを怖がっているのが根源かもしれない。

歴史は繰り返すと言うけど、折角歴史を習ってきた時間はどう活用するのか。

今日も殺された豚や牛や鶏がいて、虐待されている動物や奴隷がいて、その犠牲の上で口から命をかみ砕いて身体にいれ生きている私たちである。

有意義に生きよう。

 

 

 

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