私にとって出会う人は、家族であっても他人であっても先生であっても同級生であっても、すべて「この人と一緒に仕事が出来るか?」
での判断です。
一緒にできるか否かは知り合ってからの時間とは関係なく、そうして付き合う人を選択しなかったことが離婚の始まりでした(笑)
3度の結婚で「一緒に仕事をするかどうか」で選択したのは3回目だけ。
好き嫌いより、「そういう人が天から降ってきますように」という意識を放って来た人でした。
もう6年も前に離婚したのに未だに私の家から出て行きません(笑)
そしてやっと、10年前に本人が言った「一緒に事業をやろう」の言葉を守り始めました。
頑なに奴隷を選び逃げ続け、やると言いながらまったくやらなかったことは周囲の誰もがよく知っています。
他人だし扶養されているわけでもないし「仕事をしないなら用が無いので出て行ってくれ」と何度も言いましたが、どういう育ちをしたのか全く理解できない種族でして(笑)今後どうなるのか知りませんが、一応、仕事を始めるに至りました。
私にとって共に生きるということは一緒に仕事をすることで、出来ない人と共に生きる気はありません。
今年はこのGAMEを乗り切る「共に生きる人」を絶賛募集中でして(自分の中で勝手にそう思っているだけ)直感的にこの人と思った人に次々と声をかけていっています。
するとまだ二度しか会ったことのない人に「紹介したい人がいる」と言われたその瞬間「その人と組めそう」と感じたりして。
やっと会えた彼女とは方向性も近く、その日中に一緒に仕事をする話がまとまるという不思議。
最近は夢の中でもずっと仕事のことを考えていて、寝ている間に閃きが降りてきます。
全く接点のないように見える方でも「なんか気になる、逢いたい」と思えば声をかけています。
互いに相手の話を傾聴していく中で、これなら一緒にできるというものが創造されていくのかもしれません。
どうなってそうなるかは分かりませんが「誰と生きるか」は私にとっては最重要課題なのです。
必要なら此処に在って必要なければ淘汰される
これは万物に通用する自然の摂理です。
あの頃から時間をかけて、自分自身の仕事をするために何をも無駄にせず、準備してきました。
やっとその時期が来たのかもしれません。
相当、自分も変化しましたが、それでも私と道が遠くない人は未だ傍らにいます。
昨日まで知らなかった人と出会って何かが変わっていきます。
婚姻届けより大事なのが「一緒に仕事をすること」なのです。
ある意味、女性とも男性とも、それが私にとっての結婚みたいなものなのです。
公私は繋がっていて、自分の生き方に沿った仕事をしていないと、きっと死ぬとき後悔します。
自分の意識が、いま何をして誰と関わってという選択をし、自分の世界を作っています。
ですから自己責任です。
なので私は「共に生きる人」を自分で選択しています。相思相愛になればスタートします。
どうなってそうなるかはわかりません。
息子が歩くと宣言して事実そうなったように、その人にどんな才能が眠っているか分からないけど、共に仕事をすると決めれば何かが事象となって世界に浮上してくるのではないかと思っています。
いま、共に生きる人達がうっすらと見え始めました。
最も大切な人とも共に生きることが出来そうです。
ゴールは決まっています。
そこまでの道程はまったくわかりません。
だけど最期の瞬間、自分の思い描いたファンタジーが長い時間を経て繋がっていたことを振り返り、
「あ~面白かった」
と言ってJINの腕の中で笑いながら人間をやめるだろうと思っています。
青い空も緑の芝生もありました。
未来予想はとても暖かく幸福な結末です。
共に生きる方々とも笑ってお別れできるようしばらくは頑張らなくてはなりません。
絶対にクリアしましょう。
今日も皆さんありがとう
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