運がよいも悪いも紙一重

運勢がよいといわれれば有頂天になり、気分も大きくなりますよね。

運勢が悪いといわれれば、とても気になるし、不安な気持ちになりますよね。

大抵は「未来が不安」という一つの理由から、運勢をみてもらったり、占いに頼ったりするのだと思います。

でも、心配しないで。

運がよくないといわれても・・・・

それを真に受けて不安になって、例えば

「今年はよくないことが起こる」

なんて思ってしまうと余計によくないです(笑)

 

「運がいい」

と言われて有頂天になって、日々の感謝を忘れてしまったら、きっとよいことは起こりません。

 

大切なことは、運勢ではありません。

 

善行も悪行も自分に還る

 

運がよくても、人に悪意や怒りの感情をぶつけ、責任転嫁をするような人には、よい人生は訪れません。

必ず、自分に還ってきます。

還ってきたことがない、という人は恐ろしいですよ~。

まとめて還ってくるかもしれません。

 

逆に運がよくないといわれても、毎日生きていることに感謝して、必要以上の欲を出さず、来るものを素直に受けとめて、淡々と生きていれば案外幸せだったなと思って人生を終えられるでしょう。

 

時々、自分の放った悪意が本人に返って苦しんでいる人を見ることがあります。

それを何度も見たり、そういう人の死にざまを聞いたりすると、

「あ~やはり、お年寄りのいうことは本当なんだな」

って思いますね。

 

まいた種は全て芽が出る

 

それは、いい種も悪い種もどちらも芽が出るということなのです。

 

私は負の連鎖を自分の代で止めるのだと、幼少期に決めていたのですが、多かれ少なかれ、先祖も失敗はしていると思っていたからです。それを繰り返さないということが子孫のためになるのではないかと、5,6歳の頃にふと頭をよぎりました。自分が病弱だったこともあると思います。両親ともに実母に育ててもらっていないこともあると思います。なんか、良くないなあと感じました。

 

とはいえ、私自身も子たちとは離婚後別居していました。それを「負」にしないために、距離を越えて「育てた」つもりです。

 

長男は腰椎が無くなりました。一生歩けないといわれました。それを「負」にしないために、彼のメンタル面を支え、歩行までサポートしたつもりです。

 

拙著「奇跡は準備ができた者にだけ訪れる」の、あとがきを読んでみてください。

 

運勢をみる、とある有名な先生に

「離婚して別れた息子と母親が会うと不幸になる」

と言われました。

 

納得できないので、私は息子の下半身不随から歩行についての話をしました。

 

返ってきたこたえはこれです。

 

「あなたにはそれは関係ない。感謝の気持ちがあれば問題ない」

 

つまり、私は思うのです。

 

確かに流れがよくないときもあるでしょう。

 

先進国民の価値観ではかれば「富=金銭」がまわらないときを不運とよぶのかもしれません。

 

でも私が思う不運というのは

「銀行通帳の印字の桁が少ない」ことではなくて

心が不幸なことです。

 

もしも皆、自分たちのおかれた運命を受容し、過ぎた欲を持たず、自分の命を繋いでくれる万物に感謝していたとしたなら?

 

私たちは最高に幸せで、とても幸運な生き物だと思うのです。

 

そういう人同士、これからもお互いの幸福のために助け合って生きていきたいと思っています。

 

それは距離や場所とも何も関係ありません。

 

離婚しても諦めないで。

 

離婚を不運にするのか幸運にするのかはあなたにかかっているのです。

 

殺してきた、たくさんの生命に報えるよう、今日も命に感謝して、淡々と生きていたいと思います。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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