人はどんな時に少年のような目をするのでしょうか。
話をしていると、キラッと相手の瞳が光り始める瞬間があります。
セミナーで壇上から話すときも、聴いている方々の瞳が光るかどうかを確認しています。疑いの目が、ある地点をこえた瞬間、急に瞳孔が開いたりするのです。
それはこちらから見るとハッキリとわかるものです。
高齢者さん相手に仕事をしていた時期があります。話をしていると、同様に相手の瞳孔が開く瞬間があります。
「君と話していると何だかもう一度何かをできるような気になる」
「結婚してくれないか?」
などとよく言われました(笑)
子どもでも大人でも、初対面でも、長く付き合っている人でも、話をしているとやはり瞳が変わる瞬間があります。
人間は相手の心を第六感で読んでいるように思えたりしますが、実はこうしていろんな感覚を使って全身で相手を感じているのでしょう。
相手が自分の話を聞いていないように思う……とか、なんだか気持ちが伝わっていない……などと感じるとき、相手の瞳は曇っていますよね。
生まれてから今日までたくさんの方とお話をしてきました。真摯に相手の言葉を傾聴して返答もしています。そうすると見えることがたくさんあるのです。
数えきれない程の「誰かとの対峙」の中で、相手の瞳が光るときって、どんな人も理由は同じようなものだと感じます。
それは、希望を見出したとき。
問題の解決策がわかったとき。
幸福なとき。
そして、その人を愛しているときです。
私は、正解はお伝えすることはできませんが、その人の思い込みを外すことは昔から得意です。
瞳孔が開くということは、聴講者は「満足している」ということになり、私は「手応えがある」ということになるのです。
手応えがあるかないかは、多分壇上に立たれるような方は皆さん、よくわかっていると思います。
PTAなどで壇上から挨拶をするだけでも、式場の方々の瞳孔が開くことは見てとれるのです。そうなると教員の方々などは、よくおわかりなんでしょうね。
そんな中でも瞳が曇ったままの人もいます。
それは、そもそも人の話を聴けない人。
相手を決して受け容れたくないという抵抗をしている人。
嘘をついている人。
そして、不幸な人です。
いつも少年のようにキラキラした瞳を持つ人はたくさんの希望を持っているように思います。
ふいに何かを閃いたときや、解決の糸口が見えたり、やる気が漲ったときも瞳は変化します。
私は誰かと話すとき、相手の瞳から感じるものを大切にしています。
そして瞳孔が開いた人は、とても素敵な笑顔を向けてくれるのです。
出会いは幸せのためである
~MAHIRO思考~
話をするときは、相手の目をきちんと見ていてくださいね。
大したことはできないかもしれないけれど、出会った人の瞳が煌めくようなお話ができたら幸いです。
今日も皆さんありがとう。
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