真実は虚無 リアルはファンタジー

これは私の造語です。

小学生の頃からの人生のテーマである「真実の追求」を常に頭の片隅に置いたまま、物事を見てきたのですが……

【思い込みの外し方】などというテーマでセミナーをできるのもその視点から来ています。

自分の生きるテーマなので、他人の考えは関係ありません。

自分に始まり自分に帰結するものなので、指標もありません。

人間たちの創ったものは、どこまで正しいのかわからないと思っています。もちろん自分も含めて。

だから、答えを導き出すにはいつも、前提条件を取り払う必要がありました。

簡単にいうとゼロベースで考えることです。一切の人間の意見を信用しないということです。

自分の目で確かめて、耳で聞いて、心で感じ、エネルギーを感知すること……

義務教育はありがたく、一旦は把握して、全部叩き壊すようなイメージです。教育を受けなくてもわかることがありますが、誰がゼロから考えてもわかるものは本能です。

次に、自分たちの種をこえて考えることで視えてくる世界があります。だから他生物と対峙してみることも重要です。

それでもまだ、この前提条件があることが不愉快なのです。それは……

全ては脳の電気信号。

もしもこれを疑わずに正しいとするなら、

真実は虚無 リアルはファンタジー

なのですが、根底からこれが覆されたなら、また異なる答えが導き出されます。

その点で科学は興味深いと思います。スピリチュアルの世界も興味深いと思いますが、似たようなもので、どちらも正しいというわけではないと考えています。

先の前提条件をもしも正しいと仮定するなら、真実など永遠にわかることはないということが決定しています。

過程は長くなるので省略しますが(わかる人にはわかるので)これらは、先進国民である自分が、システムの管理下で、生きるための活動でない働きを【仕事】と呼び、貨幣に交換できて食べ物にし、それによって産み出された「暇な時間」を使ってこうした思考や創造が出来たからこそ、辿り着くものだったわけです。

つまり、傲慢で搾取してきた先進国民ゆえの思考ということで、ある意味自分さえ否定しています。

結果的に見えているもの、感じているものが電気信号だったとしたなら、リアルはファンタジーなので、尚更、好きなように生きることが最善だということになります。

本来、生きることも死ぬことも何を食べるのかも何をするのかも、強制されるものではありません。

自然も自由も安全ではないし、安定しているものではないけれど、弱肉強食の世界に生まれたのだから、痛みと悲しみは避けては通れないでしょう。

人間のおかしな活動は、この痛みと悲しみを怖れてひたすら避けてきた結果に見えてしまうのです。

しかし、それさえも電気信号ならぱ、いったい私達は何をしているのでしょうか?

何を恐れ、人を殺すのか。

何を恐れ、動物たちを金のために虐殺するのか。

何を恐れ、そんなに食べるのか。

何を恐れ闘うのか。

案外人間の知能は低いのではないかという、教育されたこととは真逆の思考が、子供の頃からいっこうにとれないで困るのです。

果たして地球って本当に在るのでしょうか……

 

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

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