誰かを変えたいとき

子どもをこんな風に育てたい。

彼氏がこんな風になったらなぁ……

彼女がああしてくれたら、こうしてくれたら……

部下をこんな風に動かしたい……

 

なんだか、いつも自分が正しくて相手が間違っているかのような意見です。

なぜなんでしょう。

考えが浅くてもいいと思うのですよ。個人の人生においては。困れば当人が勝手に学んで生長するはずですから。

もしも何を聞いても何を読んでも気づきがないのであれば、その人の人生にはそれは必要ないということなのでしょう。

とても苦労して人々から信頼もされて、70歳で逝く人もいれば、人の気持ちもわからなくても笑って70歳で逝く人もいます。前者はいわゆる人格の高い人なのかもしれません。後者は恵まれていて、辛い人の気持ちも理解できなかったのかもしれません。

でも、どちらが幸せかはわからないのです。

だから、誰かを変えようとしたりするのは多分自分の都合なのでしょう。

そもそも生まれ持った性質は変わりません。

気づきはいつでもどこでも、相手が人間でも空気でも虫でも起こります。

変わりたい人は、いつもそうやってアンテナを立てています。変わらないということは、本人はそれがいいと言うことです。

産まれてから死ぬまでの出会いや遭遇する出来事は膨大で、何に気づきどう変化するのかはみな同じではありません。

結婚した人ても親子でも友人でも、道が違えば最終的には別々に行くしかありません。

そのなかで共に生きる相手がいるなら、できる限り相手の想いを受容しお互いの生き方を尊重していくことができたら、人間関係も楽になっていくのかもしれません。

人を変えるより自分が変化していく方が断然面白いし、自分が変化すればまた、共にいて楽しいと思える人も付き合う相手も変わります。

変化は進化です。

怖がらずに、どんどん進化してみることをお勧めします。

一度の人生なのに、三度も四度も生まれ変わった気分になりますよ。

 

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

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