善かれと思って

自分では愛のつもり。

相手を大切にしたいという想いから。

だけどそれは時に、相手を堕とすことになる場合があります。

もちろん、私自身もそういう失敗を繰り返してきました。

 

では、純粋に愛が功を奏する場合とそうでない場合の何が違うのでしょうか。

 

多分、キーは自立依存です。

 

自分なりの愛を具現化するには、やはり自分の力でそれを成す必要があります。

誰かに頼ったり、自分で確かめてもいない技術に頼ったり、勉強する時間をとらずに安易に机上の空論を信じるとき、愛はかえって害になります。

 

我が子に。

愛する人に。

動物に。

地球に。

 

わからないことはわからないと潔く認め、わかりたいなら死ぬまで探求し続け、誰かにそれを圧しつけず、個々の生命力に任せることがもっとも深い愛かもしれません。

 

誰かが言うから

テレビで見たから

友達に言われたから

家族が言うから

 

などという思考は愛とは無縁で、結局そういった無責任な結果を導き出します。

ですが、愛する相手に幸せになってほしい、崖に向かって歩いている姿が見えているのだから止めたい、という気持ちは誰しも湧きおこるものだと思います。

 

育児などでは、選択肢をたくさん提供することがまるで良いかのように言われたりもしますが、そもそも提示する側が本当にそれを経験・検証しているのかどうかが信憑性を増す唯一の指標となるでしょう。

 

誰かが言うから

テレビで見たから

友達に言われたから

家族が言うから

 

では、思ったような未来は来ないかもしれません。

 

不登校の高校生の相談に乗ったことがあります。

「先生や親の意見はどれも同じだけど、なぜそうしたらよいのか誰も言わない、信じられない。」

と言っていました。

私は中退すれば日本で起こり得る可能性、人事は紙だけ見て判断することが多く中卒の人の可能性を面接で見抜ける人はほぼいないこと、留年すればこういったメリットとリスクが考えられ・・・・・その中であなたの夢をかなえるには多分こういう状況になることもあって、その場合それがどれだけ時間を要するかわからなくて・・・・・などと知っている限りのあらゆる可能性を話しました。

そして量子力学的な誰にでもわかる簡単な例とを。

 

しばらくして彼女は言いました。

「それなら学校に行く!!」

 

彼女は卒業して夢をかなえました。

でもその夢は、本人が思い描いたような綺麗な世界ではなかったようです。

実際に経験してみた時、他者の経験と自分の感じ方が大きく異なることもあります。

自分に嘘をつきながら隷属しても納得できる命の時間にはならないかもしれません。

夢をかなえたこと、それが想像とは違っていたということ、どちらの経験もした彼女には後悔はないようで、今は違う生き方をしています。

 

愛から来る提案でも、それが時に命にかかわることもあります。

全体が当たり前だと信じて疑わなかったことに迎合した馬鹿な20歳の自分がいました。

おかげで息子は側弯、ロート胸、川崎病、心臓奇形となりました。

京大に入るような頭脳があっても、身体はもとには戻りません。

ほかにも影響は見受けられますが、娘が生まれた頃には、私も既にアロマやハーブの知識を持っており、実際に栽培し、息子たちが赤ん坊の頃ほど流されませんでした。

息子の川崎病の原因が「合成洗剤」と主治医に言われたのですが、私は高校時代の教師に教えられそれが害だと知っていたので18歳で家を出た時から使用していませんでした。

ですからきっと他に原因があると思い、10年以上探し続けました。

我が子に良かれと思ってしていたこと。

それが多分原因です。

それは私が作り上げたものでもなく、手がけたものでもなく、確かめたものでもなく、その分野の専門書を読み漁って勉強した結果でもありませんでした。

 

娘が水痘に罹患した時、幼稚園の先生にネグレクトと間違われ裸にされましたが、娘の体には5~6個ほどしか水痘が出ていなかったんですね。

私が手掛けたもの、勉強して確かめ続けているものでケアしていたんですが、その愛は功を奏しました。

後にその先生から子育てに関して相談を受けるようになりました。

時間はかかるかもしれませんが結果的に愛は伝わります。

 

もっともわかりやすい愛の形の結果が奇跡は準備ができた者にだけ訪れるでしょう。

あれは私からの愛、息子からの愛の融合の結果です。

自ら創ることに重きを置き、二人でどこにもないものを追求し続けました。

たとえ私が誰かに強い愛を持っていても、あれだけの結果は相手にも愛がないと起こりません。

 

後に様々な人に同じようなことをしました。

ですが、誰とも奇跡は起こりません。

10年以上愛をかけたニンゲンから還ってくるものが搾取や依存、嘘であったり、20年以上かけた相手から還ってくるものが依存、搾取、責任転嫁などであったりすると、簡単な良い結果すら起こらないのです。

見ず知らずの人に呼ばれ、新幹線に乗ってまで会いに行き、できる限りのことをしてきても、恋人に会うなと言われたからと私を妬みやっかみで遠ざけたりした人もいます。多分、本を読んで興味本位で安易に私に依存したのでしょう。いつも必要なら行くべきだと考え、無償で全国どこにでも行きましたが、お一方を除き、誰にも何も起こりませんでした。

こういった相手に命の時間をかけても奇跡は起こりません。

そういった事例の中では、逆に本人が亡くなったり、人生がどんどん堕ちていく現象が起こっていたりします。

 

ただお一方だけは、私に対する信頼度が圧倒的でした。

70代のお父様が寝たきりになり、どうしても歩かせたいので来てほしいということでした。できる限りの提案、実際に私が息子にしてきたことなど、真摯に家族全員で聞かれていて、何よりお父様ご本人も、何のメリットもなくそこにいる私の想いを理解してくださったようでした。

二週間後、連絡がありました。

「MAHIROさん本当にありがとうございました。歩いて退院できました」

私が一番驚きました。

 

世界も同じです。

互いに真に愛しあう相手とでないと奇跡のような素晴らしい結果は起こりません。

依存は力にはなりません。

経営者、組織のリーダーなどには、周知の事実でしょう。

 

また、たとえ怒りのエネルギーであっても、愛に由来する怒りのエネルギーはその愛を数百倍数万倍にパワーアップさせます。

もちろんそれを良くない方向に決して使わないことですが。

 

良かれと思って愛を形に変える際には、誰かの意見に依存せず、必ず自分で納得したものを提示しましょう。

もしそれが何もないなら、何もしないことです。

ただ抱きしめるだけでよいと思います。

 

光に向かってエネルギーを使いましょう。

自分の周波数と合う対象と必ず出会います。

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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