自分を破壊する

自分を破壊して分解してみる。するとそこに全てがある。

どういうことかわかりますか?

自分の想いがどこからくるのか、ひとつひとつ掘り下げて潜在的な要素に気付くということです。

他者のことも含めて。

自分を知れば世界はわかります。

 

様ざまなものの集まりが全体

 

広義では他生物からみれば私たちは「ニンゲン」で大差ありません。

だから他者のことも自分を掘り下げ徹底的に理解すればわかることがあります。

小さな存在が集まって全体が出来ていますが、私たちの身体も同様に細胞が集まってできています。

生き物に共通していることを見出すのです。

 

親の影響と生命の営み

 

受精卵から胎児になっていく中で、私たちは母親の血液やホルモンの影響を受けているはずです。善いも悪いも。

そんな営みが先祖から続いているのだとすれば、遺伝的に顔が異なるように臓器一つひとつも親の遺伝に左右されることはあるでしょう。

親からの遺伝が強く出るとしても、自分が生きた来た環境要因で子孫に遺せるものが変化することもあります。

 

綺麗事を話さなければ生きていけない。

自分が苦しいことは他人に責任転嫁するものだ。

なんでも金で処理すればいい。

などの親の背中を見てきた人は目も当てられません。

でも、その価値観は単に親から受け継いだ癖のようなもの。

思い込みをいったん外して別の方法がないか確認してみることで自分の未来は変えられます。

 

脳の回路をつくりかえることは面白いですよ。新発見のような感覚です。遺伝的に限界はあるかもしれませんが。

回路を組み替えることは、さらに教育が必要だということではなく、出会うものすべてをヒントにします。テレビの番組でさえも。子どもの意見でさえも。

新発見をすると、世界はまるで違って見えてきます。

システムに洗脳されたこの世界に住んでいることとか、信じて疑わないものが単なる一部のニンゲンの思い込みだったとか・・・・。

正しいことなんて何もなくて、全部を疑った時に見えるものがあります。

もちろんそれは昨日までの自分の考え方も含むのです。

 

思い込みの外し方

 

自信とは自分を信じること

 

先の意見と矛盾するのですが、私は自分を潰しながら新生しようとする自分を信じています。

その中で何度考え直しても変わらぬ軸のような、幼少期から変わらないものを自分だと認識しています。

自分さえ信じていない人を他人が信用するなど狂気の沙汰ですね。

自信とは本来他者と比べて生まれるものではなくて、徹底的に自分で体得してきたものの積み重ねでしかできないものだと思うのです。

だから倣っても自分のものにはならず、誰かの意見や体験をコピペして覚えてもあまり意味がありません。

たとえるなら実際にやってみること、火の中は飛び込んでみないと熱いかどうかわからないというようなことです。やってみれば熱い人もいて熱くない人もいるんですよね(笑)

 

こんな風に、自問自答を繰り返し、自分の考えを疑いながら潰し続けると、表面的な言葉と潜在的な部分の違いにきづくようになりました。

 

自分のことですら、人は誤解しています。

善く思いたいのですね。

 

殆どの人間の行為は

支配欲

承認欲

優越感

虚栄心

のどれかで説明がつくそうです。かくいう自分も・・・・・

 

そもそも人間の命と蚊の命の重さに大差はありません。社長で80で死ぬも、浮浪者で80で死ぬも動物としては同じだと言った人がいます。その通りだと思いました。動物として、命を全うすることにおいては。

 

意味づけしたくなるのがニンゲン。

でも究極の理論をいうなら、誰がどう生きようがその人の自由なんですね。

全員正解!!

 

どうせ自分の欲を満たすためなら、せめて誰かが笑って生きられるようなことをすればいいし、人々が自分に嘘をつかずに心が軽くなるような社会になればいいなと望みます。

 

国が病んでくると「教育」の大切さが叫ばれますが、おし付ける前にまずは徹底的に自分を省みて、バラバラに紐解いて、潜在的な願望も理解してから、他者につたえていけば、矛盾はなくなっていくと思います

 

また人間は失敗するのが当たり前なので、それを恐れないことですね。いくつになっても失敗しますがそれもまた楽しみのひとつです。

 

今日も皆さんありがとう。

 
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