言葉が澄んでいて、真っすぐな姿勢と真っすぐな視線。
時折見せる、生きるために仕方なく社会に対応する憂いの表情。
ですが大切なことがなにか言われなくても知っている彼は、とても信頼もできる人です。
彼との出会いは息子を通じて。
次男を家族だと言ってくれた人です。
彼は言います。
「この国ではお金が最優先だと思い込んでる人々ばかりだ。横領や搾取はどこにでもある。だから人々は他人を信用できない。」
昨年もお世話になった農夫の彼。
この人にお礼に行くのが、今年のアフリカ渡航の最大の目的でした。
大切なものが揺らがない50代の彼は、元神父。
「お金は二の次三の次なんだ。」
生きていくのに大切なのは食べ物、だから有機農業をしているといいます。家族を守るために。自分を守るために。
でも何より大切なものは『愛』だと説きます。
彼の妻であるESTAMAMAもいつもそう言っていました。慈愛に満ちた女性です。
話をしていて聡明な女性であることはすぐにわかりました。
彼らは決して裕福ではありません。金銭にすれば、一日当たりに1ドル程度の収入。
彼らは言います。
「愛があれば、やがてお金にも困らなくなる、家族ともしっかり助け合っていける。」
とても複雑な家庭環境に生まれたという彼は、日本人が想像できるような人生を送ってはいません。
かつて彼は様々な民族語を勉強しながら、50以上の村に布教にまわっていたそうです。
敬虔なクリスチャンである彼は、自分の畑でとれた作物をいただくときも、鶏の卵で焼いたチャパティを食べるときも、チャイを飲むときも、必ずお祈りをして感謝の言葉を述べるのです。
食事が終わった後ももちろん、誰かが遠出する際は無事目的地に着くようにと祈るのです。
昨年私が帰国する際、空港まで見送ってくれました。
「日本まで無事に何事もなく到着できるように」
とお祈りをするために。
今回再訪した時も、家族総出で私をもてなしてくれました。
「いただきます」
「ごちそうさま」
という日本の言葉に慣れすぎて、心がそこにない自分を反省したものです。
命の循環からはるか遠いビルとアスファルトの世界に生きることが、まるで人間として優れているかのような『錯覚』を起こしている人々。
私たちは本当にそれで幸せなのでしょうか。そして、先進国に憧れる途上国の人々もいずれ同じ道を辿るのでしょうか・・・・・・
手作業で草むしりをし、毎日作物の状態を見て家畜の世話をする彼らは、命ととても近くに在るように見えます。
自分が地球の一部であり、自然の一部だとわかっているようです。
だからなのでしょうか、この村の人は作物をとても大切にしていました。
日本でいうところの『チンピラ』風の団体の車に乗せてもらったことがあるのですが、肩を組んできた男性が自分のポケットから
「これあげるよ!」
とマンゴーを私に差し出したのです。いわゆるナンパ?!(笑)
いくら田舎育ちでも、日本なら女を口説くために、まさかポケットからマンゴーを差し出したりはしないでしょう。
なんだか笑えます。
彼らといると、命の循環をダイレクトに感じることが出来ます。
生きるとは殺すこと
私たちはたくさんの命を殺して生きています。
カレルチャペックの言葉にこんなものがあります。
「ひとつの鉢の中に宇宙がある」
化成肥料や農薬を使わずにやってみることをお勧めします。
農業や家畜に携わらなくても、一鉢くらいの植物ならどんな家にでも置けるとおもいます。
皆がそれをすれば都会にも緑が増えるでしょう。
真摯にその一鉢と対峙すれば感じるはずなのです。
鉢の中に宇宙があるというのは本当だということを。
この地球に在るものは、なにもかも命なんだと実感できるでしょう。
今日も万物に感謝。
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