日本しか知らないで、これが常識!これが正しい!とあまりにも胸を張って教育を謳ってしまうのは考えものです。
もちろん、子どもたちが生涯この国から一歩も出ないで、異国とも関わらなくて、鎖国のような状態で生きていくならそれもありなのですが、公共の鉄道で毎日「人身事故」が起きるような我が国は、教育について少しでも視野を拡げていくことも必要なのではないかと思われます。
僅かな情報ではありますが教育に携わるすべての人々のご参考になればと思い、シェアさせていただきます。
今年のアフリカ渡航では村のPrimary Schoolと日本の援助が入ったSecondary School、Kindergarten
そして都市にあるSecondary Schoolで話を聞いてきました。
まず村のKindergartenでは・・・・
雨季で粘土質の土がぬかるみ、小さな子どもの脚で往復何時間も歩くのは困難として、その日は家が近い4人だけが出席。
遊んでいるのではなく勉強してました。
●英語とスワヒリ語
●サイエンス
●算数
試しに壁に貼ってあった絵を一つずつ「これは何?」ってきいてみたら彼らは全員きちんと英語で答えました。
建物が村の図書館と繋がっていて、日本語の絵本はスワヒリ語に訳されています。阪大の外語学科の生徒さんが訳したそうです。
Shule ya Msingi(Primary School)
●義務教育は7年生までの小学校。国家試験があってパスできなければ留年です。
校則などもあって、内容は日本とかわりありません。
生徒たちは先生方にとても礼儀正しいです。道端ですれ違う時も相手が年上なら挨拶さえ違うんですね。
必ず年下からこう声をかけます。
「Shikamo」すると目上の相手は「Marahaba」と返します。
一つでも上だとわかっていたらこんな風に挨拶するのです。
普段から年上の人や老人を敬う文化があるので、生徒たちは目上の人に向かって友達のように話したりはしません。街をあるいていてもそうやって私にでも挨拶をしてくれます。私もどう見ても年上の方だと思われる人には自分から挨拶をするようにしていました。
●給食費について
授業料は無料なのですが、給食は無料ではありません。この村では40数名親のいない子どもたちがいます。そういう子たちは無料にして、裕福な家庭の保護者が余分に支払っているそうです。また親がいても困窮している家庭においては、少なめに支払う配慮がなされているそうです。村の住民の状態をそれぞれ理解しているから相互扶助ができるのかもしれません。
私はスーツケースの中に文房具を詰め込んでいって、親がいない子どもたちを中心に配ってもらいました。残った分に関しては、先生方が各家庭状況を把握してらっしゃるようなので、お任せしました。
広い芝生の校庭はあるものの、相変わらずボールなどはひとつもありませんでした。
Junior ya shule ya sekondari(Secondary School)
♦村編♦
今年の1月から授業料が4年生まで無償化されたらしいです。マグフリ大統領が公約を守ったそうです。消費税は18%でした。
日本の援助が入っているルカニ村のSecondaryは、校長先生が援助で増設した理科室を嬉しそうに見せてくれました。
(増設された校舎の壁に貼られていました)
(これが理科室)
(理科室においてある教材)
♦都市編♦
SNSで知り合った女性が都市部の学校で数学教諭をされているということで、授業を見せてもらいました。
彼女とも初対面!遠い異国の地でこうやって出会えることに感激でした。
(理科室を使って自主的に補講を受けている生徒たち)
(彼女の授業はスライドや手作りの模型などを使ってわかりやすいと好評)
(これは成績優秀クラス。連立方程式の授業を英語で行っていますがさすが理解度が高い)
●国家試験は二年生と四年生で受けなくてはいけません。落ちたら留年です。素晴らしい制度ですね。日本のように、高校で中学の復習や、大学で高校の復習をする必要がないわけです。わからなければ卒業もできない、上の学校に上がれない、本来の目的にかなっている制度だと思いました。
また家庭科などの副教科も3年生からはAクラスの生徒しか受けることができないそうです。基本の教科をまず理解してから、でしか無理なのですね。
●給食費については、都市の方は村と少し事情が違っていました。
払えるのに払わない親がいるのはよくある話だそうです。そういう場合、警察を呼んでまず子どもが連れていかれ、親がきちんと給食費を支払って子どもは返されるそうです。
そう言えば、村の小学校でのこと。昨年一度だけ訪れただけの私の名前を覚えていた男の子が一人いました。
全クラスに入れていただき挨拶をする際に、校長先生が面白がって私の名前を覚えているかと質問したのです。校長先生も一年以上も前に来た私の名前まで覚えていたその子にびっくりしていました。成績優秀者だそうです。3年生くらいの男子でした。
そして退任された前年の校長先生が私を家に招待してくださり、再会することができました。近くの街に住んでおられて、食事まで用意してくださっていました。かなり豪華なお宅にお住まいでしたが、花を活けてあるのはペットボトルをリユースしたものでした。
私たちも見習うべきことはたくさんあります。同時に安易にプラスチック製品を使用することを考え直し、途上国に導入するなら金儲けだけでなく処分まで一貫してシステムを入れ込むことが大切ではないかと考えさせられました。
助け合いができる貿易が世界に広まれば平和に近づくのかもしれません。
途上国からもたくさんの恩恵を受けていることに感謝します。
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