夜中二時ごろ。
突如また天から言葉が降りてきました(笑)
閃きとでも言いましょうか。
常に頭にあるのは、どうすれば癒せるか。
どうすれば助けられるか。
そのくらい私から見れば不幸な人が多いのです。
もちろん、究極の愛はなにもしないこと。
地球がそう決めている生き物を自分がどうにかしようなどという考えは傲慢じゃないかとも思います。
でもやはり目の前で苦しんでいる人を助けたいと思うのが当たり前ではないかとも思うので。
助け方は時に「信じて見守る」ということも含まれるんですけど。
なぜ病気のような現象を起こす人が要るのか。
なぜ苦しんで逝くのか。
逆になぜ奇跡を起こすのか。
なぜ何も困らないのか。
光の玉という愛のエネルギーをいくら投げ込んでも拒絶して受け取らない人がいます。
そもそも受容体がないのかもしれません。
どんなに環境を整えても、食べ物を無農薬にしても病気を創る人もいます。
逆に虐待されても、何かの被害にあっても、お金をとられても、幸福な人もいます。
この違いはなんのかと。
誰だって生きていれば悲しみや苦しみは避けては通れません。
相手に怒るのは正常な反応。でもそのあとなんですよね。
1週間程度でオペが必要な病気をなぜがすっかり治癒させる80代の人もいて。
骨がバラバラになり金属を入れたはずなのに、あり得ない速さで寝たきりから歩くという奇跡を起こす人もいて。
虐待された母親を許している人もいて。
浮気した配偶者や、金を盗んだ相手を、性的虐待した相手を許してきた人もいて。
そういう人に共通するものは「真の赦し」でした。
私がかつて重度の鬱で半年間毎日泣いて、泣いて、泣いて、小学生の娘と夫が家事もすべてやっていた時がありました。
ある日、ふと嘘をついて浮気をしまくっていた夫を許せたのです。
血のつながらない息子たちにしてくれたこと。
自分が傷つけられた分だけ私も価値観の違いで相手を傷つけたんじゃないかと思えた事。
そしてそれでも結果的には生きる世界が異なるので離婚しようと決めたこと。
これで一気に一日で治りました。
綺麗事という嘘ではなく、心からの赦し。
赦すというのは言いなりになることではありません。
嫌いなものは嫌いでいいし、怒りは怒りとして出せばよいのです。
ただそれを許して明日から生きる。そういうことです。
その人の結果を視れば心の中は逆算できます。
人は失敗し間違うこともあるけど復活することもできます。
この現代の劣悪な環境で毒だらけの食の中、どういう意味か進化した人しか生き残れないとよく耳にします。
それらは、心がないロボットのような人工的な生き物と、赦しですべてを癒していく地球の癌細胞を淘汰する類の生き物(動植物含め)なのではないかと思ったりもします。
地球の自然治癒を早めたいです。
仲間と共に生きたいです。
万物に愛を。
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