随筆 222

スピ系と間違われるのは愉快ではありません(笑)

生まれてから師匠を持たずに、大人の言う事、果ては生物の一種であるニンゲンごときが作った話を信じないという、至極当たり前の思考を持ってして、赤子の頃から記憶喪失にならずに今まで生きてきただけなのです。

結果、ニンゲンごときに決してわからないことがある、という超現実的な仮説を立てて生きているだけのことです。

机上の空論より、億倍体得の方が大切で、よって偏差値やコピペの上手な「点数稼ぎ」もまあ得意ではあるけれど、価値は感じてこなかったという人生です。

 

富とは裸になっても持てるもの~MAHIRO思考~

蟻や草木や雀やゴキブリの生き様を見たことがっあったり、小1で理科を習えば多分誰でも理解できます。

無理矢理「目の前の大人の言う事が正しいのだ」って打ち消さない限りは。

確かめれば大人の言う事はほとんど適当で、真実ではなく、学校の教科書も今となっては書き手に委ねられたもの。

主観でしか表現できないのが言葉であり、それならエンジェルさんの鳴き声の方がよほど真意が伝わってきます。

明日の事は今日の自分が決めているのだと気づいたのが12歳くらい。

その後、チャレンジが怖いという感覚は薄れてついになくなりました。

でもやりたくないことはやりません。

私の人生は私のものなので。

そうやって、お話づくりを全員がしているのだとわかり、この人生がGAMEなのだと気づいた時からGAMEはしなくなりました。

他人が創ったGAMEの主人公など全く面白くなくて、自分が創ったファンタジーの主人公で自由自在に生きる方が億倍面白いですからね(笑)

一応ドラクエは3まで全面クリア。インベーダーから知っていますが、手を付けたGAMEはどれも全面クリアしています。

なんでもやりきらないと気が済まない性質で、かわりに興味のないことは目の前で何十年やられても見も聴きもしないって言う徹底ぶり。

1号がどんなタバコを吸っていたか未だに知らないし記憶にないし、2号が自分の「トリセツ」を説明するといっても聴きたくもないし興味もなかったし、傍らで毎週ワンピースを観ていても、完全無視して英語の勉強やアロマの勉強をしていたので、未だにストーリーもキャラクターもわかりません。小中の頃同級生たちがこぞって騒ぐテレビ番組やアイドルにも興味なく、「知らない」「観ない」で通し、夜は社会人や経営者と行動し、割り勘にしてもらい、義務教育を終えたら大人だと認識していたので自発的に学費と光熱費以外は全部自分で賄っているような変わった高校生でした。

でもやるべきことをやるのが先で、高校に通わせてくれた親への返礼は文句のない成績というコピペの結果で。

子を産めば全員が大人になるまではこちらが責任をとるという覚悟で、別居しても財産は全額渡し、離婚してもずっと目を離さず、再婚しても次の男を巻き込んで大きな家族にしていき、愛人を作っても興味ないので勝手にやってとサヨナラ(笑)

そんなことより、祖先への責任と産んだ子への責任の方が重かったのです。

真の先祖供養とは墓を洗うことではなく負の連鎖を止めること~MAHIRO思考~

子育てはその子の人生がかかった一大事業~MAHIRO思考~

 

だからって、私から出た子孫が負の連鎖を止めずに増幅することはあるし、私の遺伝子ではなく父親の遺伝子を採用し続けることもありますから、親でも子でも一心同体とは程遠い存在です。

私は親にも子にも恋慕のような甘えた感情が無いので、身体を通って出てきた別の人って感覚です。

親から見た自分や、子から見た自分はどうも異なるようで、なので彼らの価値観に合わせると「責任」という言葉で表現できるでしょう。

 

出来れば馴染みある血族は皆次世代まで生き抜いてくれたら嬉しいのですが、同じ親から生まれても生命力は様々です。

それぞれが生きる長さでなく、納得のいく生き方を選択し生きて逝ってくれたら満足です。

輪廻転生があるとしても誰一人会わないと決めています。本気で。それが私のファンタジー。

彼らはまた会うかもしれないけど、そこに私は居ません。

だから私に気を遣わずに全力で体当たりしてきてくれたら受けてたちます。

 

加えて、どんなに愛してくれても私が対象を愛さない限り私は幸福になれません。

でも最低限の愛は嫌いな人にも持てます。

存在を認めることは愛である~MAHIRO思考~

地球が産み出した生命体を私如きがジャッジできるわけもなく、アデノシン三リン酸を一つも使いたくないから

「どうかお幸せに。」

終わり(笑)

自分が愛した魂には全身全霊で行きます。

静かに深海のように深く(笑)

 

愛とは深く冷たいものである~MAHRIO思考~

 

言葉という昨今の機械のフォント。これも超現実的に見れば(例えば空に上がって上がって宇宙に出て見下ろす感覚)機械の前でパタパタキーボードを打って座っている生き物や、小さなペタンコのブルーライトの前で、指でなぞって何時間も座っている生き物にしか見えず、実際、その魂と愛し合えてはいないのです。

大切な事はいつもそんな機械の前で指を動かすだけで出来ることではなく、距離を超えて時間を超えて全身全霊で伝えなくてはいけません。

デジタル化されると失うものはあまりに大きく、真の幸福ではなく機械の前に座った自分だけが残りそうです。

それでも「繋がった気分」に依存する孤独な種と、共に風を感じ、掌の温もりを感じ合う愛し合う種に二分されるでしょう。

この島の中にいるとそれが当然に思えるのも、電気ガス水道のないアフリカに住んだことがないからです。

あの場所には、幼児期に思った通りキラキラした瞳の子供が大勢いました。

土で汚れた手での握手やハグは私に新しい菌をいただく有難い免疫となり、あちらの井戸水や雨の水は新しい腸内細菌の糧となって宿りました。

人々だけでなくアフリカ大陸に感謝、地球に感謝なのです。

ネットは私には単なる百科事典だったのに、若者に言われ始めたSNS

でも本当の人との関係はいつも実際に出会った人と始まりました。

機械相手のフォントは時に表現を美化したり逆に軽率にしたりしてしまいます。

 

だから決してあの言葉をフォントで伝えてはいけないのだと思います。

「愛しています」

これだけは本人を目の前にして伝えるべきですね。

ただし相手が好まない付きまといは法律上タブーですよ(笑)

 

地球に愛を

 

 

 

 

 

 

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です