同じ波長の生物が惹かれ合うことはどうしようもなく、当人さえどうすることも出来ない必然的なモノだと思う。
共に暮らす植物や動物、家に住みつく雀や鼠なども、そういった惹かれ合う何かを感じてのことかもしれない。
社会でも、そういう人同士が友人になったり恋人になったりしている可能性は高い。
水に浮かんでいるように、自然に自分の心を流れに任せていれば、同じ流れの中で磁石のように引き合う存在と出会うのだ。
だけど、人間社会は複雑だ。
国によって法律は様々で、一夫多妻もあれば一妻多夫もあり、そもそも戸籍管理など縁がないところもある。
子どもが生まれたから結婚する予定で一時期一緒に住んでいても、いつの間にか男が消えたりするらしい。
昔は日本でも戸籍の婚姻手続きなどずっと後からだったらしいし、出生届も誕生日も適当だったと祖父母から聴いた人も少なくはないだろう。
一部の判断できない人のために、法律などを作ったのかもしれない。
先住民でさえ、多分掟のようなものはあることだろう。
逆に言えば、サピエンスがサピエンスの名に恥じないように賢明な生物であるなら、そんなものは必要なかったろうとも思う。
民族によって食べるものも常識も異なるように、地球全体で見れば正解なんてどこにもないのに、なぜかそれを懸命に追い求める人々もいる。
フローな状態で生きていると、そういうおしつけをしてくる類をついつい冷ややかな目で見てしまうが、強迫観念にとらわれた人はやはり強迫観念にとらわれた人といると心地よいはずなので、結果的にそれぞれが潜在的に望んだ世界に生きているはず。
自分もしかり。
貴方もしかり。
だからこそ潜在的な望みと一致する生命体は非常に心地よく、無理矢理合わす波長の異なる集団においては苦痛を伴う。
また、かつて惹き合ったもの同士がいつのまにか心地よさとかけ離れていくのは、人生の道程のある点において何かが一致していただけで、成長過程や辿り着く場所はそれぞれなので当然ともいえる。
どちらかが、そこに抵抗する強力な抑制心を持って、そこに留まることは可能だろうが、それでは何のために生まれてきたのかわからない気がしないでもない。
潜在意識と対話し自分の言葉さえ疑ってかかり、俯瞰的に世界を視ていると、どんどんシンプルになっていく。
何かに意味づけをしたり、ニンゲンだけが信じている世界に合わせるのも面白くなくて、流れに任せながら、今日死んでもいいように生きていればそれだけでいいと思うようになる。
小学生時に余命宣告をされたこともあって、子供なりに後悔なき選択をしてきたつもり。
運よく?こんなに生きた。
だから3回も結婚することになったのだけど(笑)
真実は虚無 リアルはファンタジー
本当に虚無が真実なのかどうかは、自分の肉体がなくなってみないと何とも言えないので、その時までお預け。
惹かれ合う相手も、共生する動物も、単なるファンタジーの産物かもしれないけれど。
今のところ、自分の中でこれ以上の答えが見つからない。
万物に愛を
今日も皆さんありがとう
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