誰もが同じフォントを使っていても、入力した人がとても遠い場所に在ったとしても、それは単なる文字でもなく、遠い場所にいるわけでもない。
人を繋げているかのように錯覚する、オンラインなるものが創られた背景には様々な思惑があると考えられなくもないけど、一番重要なのは発明者の意識だ。
創り手の思考が現実化する時(たとえそれが100年かかったとしても)途中参入することはとても簡単だけど、ゼロから産み出す人の意識はそこに遺り続けるものだと思う。
その人がどのようなイメージを持って、何を創りあげたのか。
どこに到達させたかったのか。
もちろん、表面的には横取りは可能。
下手したら発明者の排除も可能。
でも、意識は決して排除できない。
亡き人が不思議な現象を起こすことは、大抵の人が見たり聞いたりしたことはあると思う。
8年前、知り合いの中学生が事故で亡くなった。
その日から暫く、多くのクラスメートに不思議な現象が起こった。
モノが落ちてきたり、勝手に動いたり、我が家では立てていた瓶がいきなり全部倒れたりした。
また、誰もが見える有名な霊などもあって、意識とは未だに良く分からぬ世界である。
地球から湧いてきた一生物の人間がすべてを解明できるわけでもない。
学問を妄信するのもよいのだけど、動物の事典などを読めば、(実際にその動物と共生した人にとっては)見当違いな意見も多々あるように感じるだろう。
どのような意見も、所詮は個人からみた主観的意見であって、書く人が変われば真逆の見識になったりもするのも当然と言えなくもない。
他生物も含め、誰がどういう想いで生きているかなんて結局誰にも読み解けない。
だからクリエイター達が産み出す様々な創作物にこめた願いなども、誰にも分らないはず。
たとえ指示通りに手脚を動かしていたとしても。
そしてその作品の着地点は、最終的にその作り手の潜在的な想い通りになる可能性が高い。
同じ創造物でも、金に執着する類はそういう結果を追い求めるのだからそうなる。
他に目的があるような作品ならそのモノに想いが転写しているので、一時期誰かに利用されても、結果的にクリエイターの意識が功を奏すると思う。
だから産み出すものに無駄はない。
誰と何をするかも大切だけど、何を手にするかとか、どんなものを使うかも非常に重要。
農作物もそうだし、衣類もそう。
本や絵画などのアートだけでなく、ジュースや薬までなんでもそう。
大事なのはブランド名よりも作り手の意識。
その物には作り手と同じ波長の人が引き寄せられるような気がする。
殆どの人は公私ともにオンラインで誰かとやり取りしていると思うが、綺麗事と言う嘘をどんなに頑張って書いても、きちんとその意識は伝わっている。
「チョロい」とか、「これでイケる」などと他者を物扱いする意識や、利得関係なく正直に伝えてくる人の文章に乗っかる意識。。
自分を避けているとか、逆に求めているとかも文字で感じるはず。
例えば、無題で何も書かれていないメッセージでも感じるものはあるだろう。
皆さんが良くご存知の、恋愛が始まる時のあの互いに発するオーラ。
単なる交尾目的のオーラをどんなに愛だと思い込もうとしても無駄だし、馴れ合いになった妥協的関係を永遠の相手だと思い込もうとしても、実は自分の中では潜在的にわかっているはず。
これらはどれも直接的な言葉はないのに、なぜか伝わるのだ。
だから、アナログなつながりが無くても愛が始まることもある。
事実、ツイッターで私を知って、関東からはるばる会いに来てくれた人がいた。
その後彼が関西に出張の際や、私が関東の研究会に出席するなど、タイミングが合えば事あるごとに二人で飲みに行った。
オンラインで人となりがわかっていたので、こちらは年齢も顔も仕事も知らなかったけど、会うことに不安もなかった。
結婚に発展した相手もツイッターのやりとりが始まりである。
1年以上オンライン上の知り合いで、実際に会ってから数年後に結婚に至った。
ビジネスメールなどで歯の浮くような言葉を連ねるメッセージも、冷静になって感覚で捉えれば、組むべき相手か否かを判断でき、無駄な時間が省かれるかもしれない。
では相手は何も感じていなかったのか?
縁が深い場合、オンラインのやりとりだけで、あちらも何か感じていたと後日聴かされることになる(笑)
年に数回しか会わなくても、こちらの価値観も愛も更新されていたりもする。
縁がない場合は、住んでいる場所の距離だけでなく、やり取りするその文面自体が遠いのだ。
単なる文字というか、薄い感じをうける。
他人のふりをしてメッセージを送ってくる人もいるが、開けた瞬間に本人じゃないとわかったりするものだ。
代筆を頼んだのか乗っ取られているのかは知らないが、そういうのはゴミ箱行き(笑)
CPのプログラミングなどは生物学と共通するところが多いと聞いたことがある。
現在、こういうオンライン上のメッセージに意識を感じる人が存在するとしたなら、発明者は相当な天才だ。
今生きているかどうかも知らないけれど、間違いなく人間社会をどこかに導いた。
自分の波長を整えて感性を高め、何もせずともここに座っているだけでピッタリの相手と出会い、惹かれ合うかもしれない。
そしてリアルで会った時、親友なり、仲間なり、恋人になるのだろう。
真実は虚無 リアルはファンタジー
万物に有難う
※これは個人的なファンタジーです。
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