膨大な時間を費やし、何故だかわからずにコツコツ準備して半世紀。
いよいよかと思う今日この頃。
だから何をするかも、誰とするかもとても大事だった。
必要なら此処に在って必要なければ淘汰される
これは私が考えた言葉ではあるけれど、本質を追求する毎日の気づきで得たものだ。
なぜ彼らが消えないのか。
虚構も依存も好きじゃないのになぜ?
ずっと考え続けた。
重くて重くて、笑みなど決して出てこない日々。
顔が固まってしまうんじゃないかって思った。
加えて、夜中に何度も起こされるような状態で、この3年は休まる暇もなく。
そりゃあ、一人でいたくなりますよ。
もう間に合わないかもしれないという焦りと、どうやっても2010年に戻れない自分。
かろうじてエンジェルやシャイニーたちのおかげで心を浄化してもらい、ここまで自己抑制がきいたけど。
過去の自分の感覚を思い出せずにいた。
でも心のどこかで、
「きっと間に合う。」
という強い想いと、その方法も天から降りてくるだろうというフロー状態。
これは潜在的な楽観主義から来るもの(笑)
決まっている流れから大きく逸脱しそうになる時、修正すべき事象は次々に天から降りてくるもの。
そこまではどんなに辛くても重くても諦めてはいけない。
もっと賢い人ならば、逸脱せずにすんなり向かうことが出来るのかもしれない。
だけど、誰かとの協働作業においては双方が極限まで行くことでしか間違いを正せない場合もある。
私は大多数にある物がなく、無い物があるという類なので、互いに理解しあうのに時間がかかる。
そんな道の途上で降りてきたものは、過去の自分の解決法と同じ、きわめてシンプル。
俯瞰的に視ても納得できること。
だから形に拘らず、想いとエネルギーの流れだけを信じて。
自分のためだけに事は為せない。
誰かのためでないと、奇跡は起こらない。
に書いたように、自分よりも誰かへの想いが上回る時にしか奇跡は起こらない。
私がいま強く願っていること、それは多分奇跡のようなもの。
そして私のしたことが全て無駄だったと他者に言われる世界が来れば最高。
核は愛
今日も皆さんありがとう
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