動物と人間の関係性 そして彼らに学ぶべきこと2

私は子供のころからペットを飼うという行為がきらいでした。

実は18歳まで同居していた義祖母が、犬を飼っていました。私たちと祖父母は一つ屋根の下にはいましたが、一階が祖父母の住居、二階が両親と私たちの住居となっていたため、その犬と触れ合うことはまずありませんでした。

義祖母が自分の犬に私達が近づくのをひどく嫌がるため、その犬自体も私が横を通ってトイレに行くにもじっと見ているような、義祖母に従順な犬でした。何年いたのか思い出せませんが、一度も触れ合ったことはありませんでした。その義祖母と犬の関係性が私から学びを奪っていたかもしれません。

子どもながらペットという形式は人間の傲慢さの表れのような気がして値段をつけて売られている命に違和感がありました。

子どもたちが、金魚を飼いたいと言っても、亀を飼いたいと言っても、個人的には反対ですが、私の考えを押し付けることはできないので世話を最後まですることを約束して飼っていました。一切、私は手伝いませんでした。

娘は植物も動物も赤ちゃんの頃から好きな子で、幼稚園でもアヒルの脚の裏がおかしくなるのは、コンクリートの床のせいだと怒ったり、ウサギをみんなが触りすぎるから、しんどくてかわいそうだなどよく言ってました。

フィジーに滞在した時、そんな中で娘に大型犬が二匹なつくのも自然の流れだったのかもしれません。毎日、のどが渇いてるから水を、とか、リードを外してほしがってるなどと、まるで犬と話してるかのようで、私にはよくわかりませんでした。マングースの子どもがその犬たちに捕まり血だらけになって食べられている姿を、仕方ないと言って娘はじっと見ていました。

私は野生の動物には興味はあったものの、人間に飼いならされた動物の気持ちがよくわからなかったのです。娘は飼っている亀にも話しかけていました。それで何が起こっているのか、想像もできませんでした。

動物科のある高校に入学した娘は毎日友人たちと動物の話に花が咲き、ある日、ハムスターのケージが我が家に届いたのです。娘が注文した品でした。

仕方なく、一緒にペットショップにいき、二件にわけて雌雄のハムスターを連れ帰りました。綺麗に環境を整えてもらっているショップにいた雌と、劣悪な環境にぎゅうぎゅう詰めにおかれていた雄と「買った」ものの、値段がついていることや、娘が自分の小遣いで買うことにも違和感をおぼえました。

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娘が世話をする予定だったのです。もちろん。私は掃除も何もする気はなく、とても迷惑な気持ちでした。娘は高校の養豚や養鶏の仕事があって夏休みも出勤?!します。必然的に私が彼らの掃除や餌やり、熱中症対策をすることになりました。

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ところが、すぐに感じたのです。

雄の彼が人間を怖がっていること。雌の彼女が、自由に甘えてくること。当初はハムスターの育て方をひととおり調べて、野生ならどんなところに生育しているのかも考えました。できることなら野生に返してあげたいと毎日考えていました。できる限り彼らの意思を尊重するように考えました。そうはいっても、こちらもマンション住まい、出来ることは限られていますが。

二か月以上待ちました。掃除のときに彼が自分で私の手にのって外に出てくるようになるまで。初めはそれでも何度か私の手のひらを噛んで、攻撃されないかどうかを確かめてから乗ってきていました。いまや、ほっぺを指でなでてもじっとしています。

部屋中を自由に走り回るので、こたつの中でひまわりの殻をたくさん発見することもあります。

自分の子どもたちが赤ちゃんのときと感覚は同じでした。3人育てた後だから、さらに理解するのは早かったかもしれません。動物とも、言葉を交わせなくても意思疎通ができるのだとわかったのです。遅ればせながら。彼らが人間でいう思春期に差し掛かるとみていてわかります。互いに興味を持ち始めて呼び合うように見えたので、ケージは別でしたが、部屋で遊ぶのは一緒にしていました。そうしたら交尾したんです。嫌がるようならはなそうと思っていましたが、妊娠中も仲良くしていました。

そして、彼らを見ていて改めて、赤ちゃんを自分都合で育てると恐ろしいと思いました。親のエゴで育てられたら、赤ん坊はどんな大人に育つんだろうって。我が家にいた犬は食事も義祖母と同じで炭水化物ばかりで、義祖母と同じく糖尿病になり、子宮がんでなくなりました。ペットというのはそういうものかと思っていました。服を着せられたり、芸を教えられたリ、サーカスの象となんらかわりなく見えて、とても不幸にみえていました。

 

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(生まれたばかりのベイビーズ)

 

ある意味いまもそれはかわりません。我が家のハムスターも、人間都合で生まれる前から売られることが決まっていたでしょう。消費者として私たちのように動物を「買う」人間がいるから、そのシステムはなくなりません。部屋中を安心して走り回り、私の脚の上に飛び乗り、甘えてくる彼らをみていると、もう野生では生きていけないなとさすがの私にも理解できます。

交尾して子どもが8匹生まれました。彼らの先を私達の都合で「絶つ」べきなのか、これが「共生」だと捉えて自然に任せるべきなのか、夫や娘とよく議論します。

ペットショップの箱の中に並ぶ、うつろな瞳をした犬たちや鳥やウサギをみて、助けたい気持ちとは反対に一切関わらない勇気が、この仕組みをなくしていくのかもしれないと考えるとジレンマに陥ります。

食べるために命をいただくことと、箱に入れたり、紐で繋いで傍らにおくことは全く違うと思うのです。すでにこうなってしまっている現代において、何が正解かなんて決められないのですが、彼らをみていて愛しい反面、とてもとても人間がいやになります。

先月うまれたベイビーズ。彼らの半数は娘の友人が育てることになっています。いまはまだ8匹すべてをきちんと把握して探してるのが見受けられる母の彼女。喧嘩しながらも共に生きるベイビー達。離すとしたら、「巣立ち」の時期を見計らってでないとできません。もし時期を間違えなければ、本能で、母の彼女は自分の子どもたちの巣立ちを受け入れるのではないかと考えています。

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またストレスで母ハムが子ハムを食べると書いてある本などがありますが、人間側の対応を見直してみる方がいいかもしれません。確かに出産後ストレスは強く見受けられましたが、母親の相手も変わらずして、外で走らせるようにしていたら、子どもが寝ているケージの中を掃除しても、決してそのような殺気だった様子は感じられませんでした。もしかしたら、中には育たないとわかっていて、母親自らがその子を葬るのかもしれないし、それも自然死して腐敗したら、残った子どもたちの感染症などにつながるから食べてしまうこともあり得るのではと思います。

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我が家の雌の彼女は「傍若無人」タイプですが、決して子を殺すようには見えません。生まれて何日かは温めるために自分が両手両足を踏ん張ったまま子どもたちに覆いかぶさって、あまり寝ていないようでした。

 

人間の「目」を通した動物の「パターン」はあまりあてにならないと私は思いました。彼らが本当はなにを考えどうしているのか、人間ごときにわかるはずもありません。わからないことはわからなくていいという諦めもこういうことには大切なのだと思います。

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この年齢になって、彼らから学ぶことがたくさんあります。

 

  • 人間が「母親の愛」を求めるのはやはり本能からきているのではないかということ
  • 「巣立ち」を親が邪魔してはいけないのではないかということ
  • 最終的には自立し、どんな環境でも生き抜く力を誰しももっているのではないかということ
  • 大きさや立場によって優劣をつけない関係は、動物とでも可能なのではないだろうかということ
  • 何も教えなくても、本能でわかっていることが一番大切なんだということ
  • 彼らは決して自分の命を粗末にしないということ
  • 万物と愛し合えるのではないかということ
  • そしてもしも、人間がそれを忘れてしまっているなら、進化しているのではなく、退化しているのではないかということ

 

これは私見です。私は動物の専門家でも、研究者でもありません。だれかのコピー&ペーストはしたくないので、自分の感じたままに書きました。ですから、専門家の方からは陳腐に思える表現があるかもしれないこと、お詫び申し上げます。

 

そしてこんなことを考えていたら、頭がよくなりすぎて退化していくあの話をふと思い出しました。私たちはもしかしたら、アルジャーノンになっているのかもしれませんね。

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

 

 

 

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