おつりがくるほどの愛

昨日は同居人とレイズドベッドの準備をしました。

庭に3つほど作れば小さな畑の拡大になり、畑を金網で囲んで高さのある栽培に切り替えれば、当初の予定通り、自分の土地だけで野菜作りは出来そうです。

借りている畑は此処の数倍あるので、出来るだけ放置してもOKな野菜をあっちで、普段使いのものはこっちでというのが理想。

今日は借りている畑の隣人が苗を下さるそうで、早く来いとお待ちかね(笑)

4年間、苗をくれたりうちが失敗した野菜をくれたりしてお世話になった方です。

父と同い年ですが、倒れても復活し、また畑仕事をされています。

お母様の残された畑らしく、いつもお母様の話ばかりされていました。

 

若者や中年は一括りに「高齢者」と言いますが、私が幼少期からずっと価値観が変わらない事を考えると、単に身体が老化しているだけで魂はずっと同じなのだと思います。

最近仕事でも70代80代の方々と話すことが多いのですが、男性も女性も多分、子供の頃から同じで、大人になり親になり、苦労もされて、少しばかり威厳を保たなくてはいけなくなっているだけなのでは?と感じます。

そう考えて人とお付き合いしてみますと、やはり「老若男女愛は必要だ」となるわけです。

歳をとったからと言って、強く見せるのも大変だと思います。

かつてうちにわんさかと集まってきていた大学生たちは、自分の母親の愚痴ばかり話していましたが、「母親神話を信じ過ぎよ」とよくたしなめました。

例えば学年首位の人が子どもを産んで育てる方法と、陸上TOPの人が育てる方法は違って当然で、母になったからと言って皆が同じことをできるわけでもありません。

なのに、母親の癖にと言われても困る人は大勢いて、高齢になっていくのと同様に、懸命に母親らしくあろうとしている人が殆どだと見受けられます。

 

私が滞在した途上国のひとつでは、男性は結婚すると言いながら妊娠した女性を置いて逃げることが多々あります。

女性はまた次の男性と恋をし、今度は結婚だと信じて子供をもうけるも、また男は逃げるわけです。

そうして種違いの子を全員自給自足で食わせているのが女性なわけです。

地球が与えた種の保存に則って、産んだからには育てないといけないという動物の掟に女性はなかなか逆らえません。

そうやってきっと母も無理して強がっていたんだなと思うと(父と私は生まれつき強いと思われる)私と価値観が違っていたことも、母の宿命だと受容できます。

 

ヨーロッパのある国では、国民の遺伝子検査をし、8割が父母からの遺伝、2割が個々の特性と判明したそうです。

その2割はエピジェネティクスで、また子孫にも継承されていく遺伝的要素になり得ると思います。

 

男女平等と、地球が与えた掟は似て非なるもの。ごちゃ混ぜにして話す人を私は信用できません。

ですが愛は万人が求めているもの。

欲の深さに個人差はありますが、まずはおつりがくるほどに万物を愛してみれば天から愛が勝手に降ってくること間違いなしです。

 

万物に幸あれ

今日も皆さんありがとう

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