昨年ハムスターの雌のココが8匹のベイビーズを産んだ数週間後に、続けて5匹のベイビーズを出産しました。
出産後二週間くらいして、外に出たがる彼女を出したときに、迷路の中にいたコニーサンが出てきて一瞬くっついたかのようにみえたことがありました。
そのときだったのだと思います。私たちの不注意でした。
さすがに立て続けに13匹も産んで、ココも体の栄養が足りなくなったのでしょう。
はじめのベイビーズが娘の友人のところで、半身麻痺になり亡くなりました。
その1ヶ月半後、今度はココの動きがおかしくなりました。
すぐにケージから出して、状態を把握できるよう、しばらく広い迷路の箱の中で住まわせました。
抗菌や神経に良さそうな精油を私の掌にぬり撫でていると、三日で走り回り、依然と同じように迷路からも飛び出るようになりました。
ケージに戻したら、回し車で走りはじめたので安心しました。ところが、数日後また動きが悪くなりました。
徐々に動きが鈍くなるなか、ココは片方の手と顔を使って座り、餌を食べ、動かない脚を自分でなめて、少しずつ自分で動かすように努力していました。ケージではなく広い段ボールに住まいをかえ、外出時はキャリーで連れて行き、一か月ほど介護しました。最期まで自分で座って食べようとしていて、亡くなる当日も部屋を這って動いていたくらいです。
1月28日の未明、いつものようにココと一緒に起きて餌を確認すると、大好きな向日葵の種もまったく食べていません。座って脚をなめているばかり。
トイレは、いつものように私に合図をするので連れて行ってあげました。
一時間ほどすると眠ったので私もベッドに入ったのですが、なぜか寝付けず、5時前に再度ココが起きたとき、再度餌を確認。好きな豆腐もまったく食べないのでおかしいと思いました。そして髭が一本抜けていたことがとても気にかかりました。
朝の家事をするためにキッチンにいた私は、娘に部屋に放したココを看るよう頼んだのですが、既にかなり移動していて、こたつの中で目を見開いて仰向けに倒れていたそうです。
娘が驚いて私を呼ぶので、いくと虫の息。座らせても倒れるので、掌にのせると、安心したようにじっとしています。麻痺してる方の身体をいつものように撫でてあげるとそのまま静かに眠りました。
ココはそのまま眠るようになくなりました。
きちんと私の気持ちが通じていたこと、そして最期に私の中で眠りたかったこと、たった9ヶ月の短い命なのに、たくさんの学びと幸せをココからもらいました。
そして、彼女が命にかえてこの世に送り出した子どもたちを大切に育てていこうと思いました。
ココが亡くなった翌日のことです。
私が外出していた時、娘はいつものように外に出たがる雄の子のモチと、父親のコニーサンを同時に外に出したそうです。(モチの方はプラスチックのコロコロボールのなか)
モチは、他の子には弱くてなにもしないのですが、コニーサンにだけは攻撃的で、以前ケージ越しに喧嘩してコニーサンが怪我をしたことがありました。
コニーサンはとても優しい性格で、あまり攻撃はしません。ココが亡くなったときもずっとココの身体を舐めていました。
コニーサンはお気に入りの迷路の端できっと毛繕いでもしていたのでしょう。
子ハムのモチはとても俊敏なのです。走っている間に、遊ばせていたプラスチックボールの蓋が開いてしまったようでした。娘がお風呂の掃除をして部屋に戻った数分後、なぜか迷路の中にいるモチと、迷路にいたはずなのに見当たらないコニーサン。
そこへ私が帰宅し、娘の悲壮な顔を見て悟りまし。急いで迷路の中を除くと、大怪我をした血だらけのコニーサンと何食わぬ顔でコニーサンの定位置を陣取っているモチがいたのです。
両耳、顔半分、背中、鼻を噛まれていて、血だらけで震えていて、死んでしまうのではないかと思いました。すぐに抗菌用のアロマオイルをぬりましたが、動揺がひどく、抱いてあげるとコートを着たままの私の服のなかに潜り込みました。普段は、寄ってくることはあっても、潜り込むことはありません。マフラーでふんわり包むと、私の胸のあたりで丸くなって静かにしていました。安心できる場所を探していたのだと思います。
モチの方は、手を噛まれているくらいでほとんど怪我はなく、アロマオイルを一度塗っただけで、翌朝には治っていました。
体が大きいのにコニーサンは命の危険が迫るまで攻撃しなかったのだと思いました。
ココがベイビーズを産んだとき、ケージの周りをうろうろしてたコニーサンを思い出します。彼は今隣に並んだたくさんのケージの子どもたちが、自分の子だとわかっているのではないかと思いました。
モチは、ココとしか過ごしていないので、父親を知りません。
ココにたいしてもとても優しかったコニーサン。出産後もいつもケージ越しにココとキスしてました。でもこれ以上交尾してしまったら、ココが死んでしまうと思っていたので、亡くなるそのときまで、直接会わせることができませんでした。
事典に書いてあることは、ニンゲン目線の主観的なもので、私とは異なる見解のものも多くあります。
ココは、雌として子どもをきちんと遺し、産まなければよかったとは思ってないと信じたいです。
ただ今回の怪我は、抵抗をせずに大怪我をおったコニーサンがあまりにも不憫で、リスク管理について家族でしっかり話し合いました。
昨夜は一晩中コニーサンについていましたが、私が出来ることは、化膿させないようしっかり抗菌することと、栄養のあるものを探してあげることくらいで、コニーサンの自然治癒力にかけるしかありません。
ココは最期まで自分で動いていましたし、コニーサンも鳴き声すらあげません。痛いのか、一晩中座って眠らずにじっと耐えていました。手助けはしますが、ニンゲンよりも、彼らに任せる方が間違いないと思うので彼の回復力を信じます。
覚悟
彼らが教えてくれたことはなんなのか。
娘が大事にしてた亀が、ベランダで夏の日差しで湯だって死んだことがあります。
ペット反対派の私は、それを娘がどこで買ってきたのかも知りませんでした。
動物が嫌いなわけではなく、玩具のように動物を飼うニンゲンが好きではないだけで、幼少期からペットショップだけでなく、サーカスも水族館も、動物園も嫌いでした。
しかしながら、不本意にも始めたココとコニーサンとの生活から、彼らと意思疏通ができることがわかったことと、ネットや事典に書いてあることがいかにニンゲン目線の主観的な考えだと気づいたことは大きかったと思います。
多分彼らは、ニンゲンの実験動物やペットとして何世代も経てここまで辿り着いているだろうと思われます。野生に放すことについて何処へ連れて行けばいいのかと考えるものの、それはもはや最善ではないのだという結論に至りました。
今後は、豚であれ、ハムスターであれ、鳥であれ、犬であれ、ひとつの命と最後までしっかりと向き合うべきだと家族で話し合いました。
生き物を飼うということは我が子と同じで、最後まで親をやめないということが大切です。
誰かがやってくれるという依存と、慣れから来る油断はどんな時も問題をひきおこします。彼らにもそれぞれの習性があります。
娘には始めた責任があり、しっかりと覚悟してココとコニーサンのベイビーズをみていきなさいと話しました。
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野生から彼らを道具のように連れてきたこれまでのニンゲンの行為について、心から申し訳なく思います。
可愛いことと、自分の『モノ』にしたいのとはまったく別で、そういったニンゲンの欲の深さが様々な問題をひきおこす原因であることは間違いないでしょう。
ペットだけでなく何かに対する執着は、ニンゲンに重くのしかかり、その人を海の底に沈めていきます。
愛しているからこそ執着せずに、淡々と向き合うことも大切なのだと感じた夜でした。
今日、ココをベランダのダマスクローズのレダの土に埋めます。
彼女の身体は私の身体の中に、春に咲くレダの花を通して取り込ませてもらいます。
たくさんの学びと幸せを、本当にありがとう。
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